アレンさんお見舞い報告
2009年03月17日
3月8日、「アレンは今ごろどういう調子なんだろう?」と心配しながら、
4人で成田を出発しました。
そして、ニューヨークに3月8日夕方到着。まっすぐアレン宅へ。私たちの
訪問はお連れ合いのアネッタさんの決断によるもので、
アレンには”ビッグサプライズ”として進められていたのです。
私たちが部屋に入った時、「夢じゃないだろうね?」「信じられない。ここ
で会えるなんて!」と喜ぶアレン。すぐに各自の腹まきから現金を取り出
して、アレンに手渡しました。この写真はその瞬間です。
(宜野座)
以下に、一緒に同行した平塚さんの詳細な記録がありますので、どうぞ
お読み下さい。
ご縁の皆様に――アレンさんお見舞い報告(090313)
ANN世話人代表 平塚淳次郎
3/8発 3/12帰着。同行は嬉野京子(東京)、宜野座映子(沖縄)、佐野
明弘(石川)。
「ここで会えるとは思ってもいなかった」「夢じゃないだろうね」
3月8日午後9時近くアネッタ夫人の計らいで一時帰宅中のブルックリン
のお宅に不意打ちをかけた我々を迎えたアレンさんの声にはいつもの力
強さはなかったが、椅子に腰掛けたまま、例の人懐っこい表情で一人一
人にハッグを返してくれました。
みなさんから急遽託された手紙・写真・寄せ書きや千羽鶴にひとつひとつ
頷きながら、「ありがとう!」「ありがとう!」
■お金の話
全国から集まった約200万円を20,000ドル小切手にして事前に送っ
ておいた分に加えて今回沖縄(宜野座)、お寺関係(佐野)からの現金
19,243ドルを合わせて第三次カンパが四万ドル近く(約四百万円)に
なったことも夫妻の最大の心配を解く良薬に――これで届けた総額は
700万円突破です。
未開封郵便の中から病院の封書を見つけたアネッタさんが開くと、1月
20日から2月6日までの請求が 17,149・82ドル(約170万円)――
「本当に助かっているよ!」とアレン。「おかげで病院への行き帰りにも
バスじゃなくてタクシーで、と言ってくれるの」とアネッタ。
二日目、前々からアネッタが手筈をしていたアレンの民間保険加入の
認可通知が届く。果たしてどこまでの軽減になるか詳細は未定だがとり
あえず三月分から有効とのこと。
■病状はどうなの?
「前の週だったら到底会うこともできなかったよ」とアレン。実はこの日
も我々が引き上げると同時にお二人は病院へ。
アネッタの帰宅は午前一時になったという。

翌日(3/9)午後訪ねたブルックリン大学病院七階の病室のアレンは
全くの別人でした。
<面会人は二人まで>との範囲内で交代の見舞いに、低いうめき声を
発しながらも、腫れ上がった脚をマッサージされるとGood!Good!と
言いつつ浅い眠りに 。本人から請求して与えられた薬の効果か、少し
痛みが治まったあと「こんな姿を見られたくなかったので・・・」と弱々し
い笑顔。
そもそも今回のニューヨーク行きは、アレンの同意の無いまま、
アネッタの独断の招きに私たちが急遽応じたものでした。
「今をおいて会ってもらう時は無い」という彼女の決断。
一月初旬<多発性骨髄腫。余命二ヶ月乃至六ヶ月>という診断を
下したのがキングズ公立病院。2月の救急入院以後は、その病院と
隣り合わせのこの大学病院に転院。(因みに車で20分のここに対し
て一時通った退役軍人病院は倍以上の距離)ここの医師はアレンの
強靭な肉体に驚嘆しつつ、歩行は禁止。一方では9日から三日間連
続の放射線治療開始。期して待つべきか。
我々の訪問の最終日(3/10)、「葬儀は頼むよ」と信頼を置く真宗
僧侶の佐野に向かって自ら淡々と「生の終末としての死を迎える覚
悟はできている。娘のロビンが不憫だが・・・。」
初日に皆の前で語った生への意欲との見事な統一。
「第一目標は夏のロビンの結婚式に出ること。第二はもう一度日本
のみなさんに会いに行くこと。三番目は北海道の親父(85歳の三宅
信一氏)の年齢を目指すこと。」
アレンの願いを皆様と共に!
合掌!
Posted by eiko2009 at 22:28│Comments(0)
│アレン・ネルソンさんの経過