沖縄での没後10年企画「アレン・ネルソンさんの平和のメッセージ」を開催します
2019年03月28日
2019年7月27日(土)14時~ 沖縄国際大学にて、
「アレン・ネルソンさんの平和のメッセージ」を開催します。
アメリカ海兵隊員として沖縄の基地で訓練を受け、ベトナムの戦場に送られたアレン・ネルソンさん。
2009年にガンで亡くなるまで、日本全国で講演を行い、その数は1200回を超えました。
彼が、最後まで語り続けた平和へのメッセージ、そして、アレン・ネルソン奨学金のいまを伝えます。
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「アレン・ネルソンさんの平和のメッセージ」を開催します。
アメリカ海兵隊員として沖縄の基地で訓練を受け、ベトナムの戦場に送られたアレン・ネルソンさん。
2009年にガンで亡くなるまで、日本全国で講演を行い、その数は1200回を超えました。
彼が、最後まで語り続けた平和へのメッセージ、そして、アレン・ネルソン奨学金のいまを伝えます。

アレン・ネルソン没後10周年企画「REAL WARー兵士が語る本当の戦争」報告つづき
2019年03月28日
「REAL WAR」参加報告(宜野座映子)
アレンの10回忌法要には、全国から300人近くお寺に入りきれないほどの参加者、アメリカから妹たち4人が来てくれました。
アン・ライトさんから後で電話があり、スピーチの謝礼金の一部を奨学金として使って欲しい!とのことでした。
また、アレンの妹も、お寺に到着すると直ぐ、これを奨学金に!と下さいました。
![アン・ライトさんと アン・ライトさんと]()
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アレンの10回忌法要には、全国から300人近くお寺に入りきれないほどの参加者、アメリカから妹たち4人が来てくれました。
アン・ライトさんから後で電話があり、スピーチの謝礼金の一部を奨学金として使って欲しい!とのことでした。
また、アレンの妹も、お寺に到着すると直ぐ、これを奨学金に!と下さいました。
アレン・ネルソン没後10周年企画「REAL WARー兵士が語る本当の戦争」報告
2019年03月28日
3月25日はアレンさんの10年目の命日でした。
その日、石川県加賀市にあるお寺「光闡坊」(こうせんぼう)で、「REAL WAR-兵士が語る本当の戦争」という企画が行われました。
追悼法要の後、元アメリカ国務省外交官のアン・ライトさん、元陸上自衛隊レンジャー隊員の井筒高雄さん、さらに澤地久枝さんのお話がありました。
アレン・ネルソン奨学会沖縄からも元代表の宜野座映子さんが参加しました。
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その日、石川県加賀市にあるお寺「光闡坊」(こうせんぼう)で、「REAL WAR-兵士が語る本当の戦争」という企画が行われました。
追悼法要の後、元アメリカ国務省外交官のアン・ライトさん、元陸上自衛隊レンジャー隊員の井筒高雄さん、さらに澤地久枝さんのお話がありました。
アレン・ネルソン奨学会沖縄からも元代表の宜野座映子さんが参加しました。
2017年奨学金支給式の報告会を行います
2017年03月03日
2013年、2015年に続いて、今年2017年1月にもベトナムでの奨学金支給式に沖縄から参加してきました。
タムキー市とクエソン郡での支給式を始め、DAVA(ダナン枯葉剤被害者の会)やドンズー日本語学校を訪問し、メンバーが学んだこと、感じたことをこのブログで報告していきたいと思います。
また、3月26日(日)午後2時から報告会を行いますので、沖縄にお住いの方はぜひ足をお運びください。
会場は、南風原文化センター・交流研修室です。(参加費無料)
![クエソン郡の奨学生 クエソン郡の奨学生]()
タムキー市とクエソン郡での支給式を始め、DAVA(ダナン枯葉剤被害者の会)やドンズー日本語学校を訪問し、メンバーが学んだこと、感じたことをこのブログで報告していきたいと思います。
また、3月26日(日)午後2時から報告会を行いますので、沖縄にお住いの方はぜひ足をお運びください。
会場は、南風原文化センター・交流研修室です。(参加費無料)

「『基地で働く』を語る会」報告
2016年07月17日
2016年5月13日に、沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く 軍作業員の戦後』(2013年、沖縄タイムス社)について語る会を行いました。
ゲストに、主な執筆者の磯野直さんを迎えて、30人余が参加しました。
米軍基地の元従業員へのインタビューに取り組んだ経緯、次々と取材を断られ、今もなお存在する米軍基地が元従業員への無言の圧力になっていると思い知らされたことなど、非常にひきこまれる内容でした。
その後、参加者同士でこの本について意見交換しましたが、もっと時間がほしかったという声がありました。
そこで、6月24日に第2回を行いました。
会場がレストランということもあり、ゲストの磯野直さん、赤嶺時子さんを含めて14人の参加でしたが、その分じっくりとお話しできました。
赤嶺時子さんは、『基地で働く』の121~125頁に登場する、米軍基地を解雇された女性たちで保育園をつくったメンバーのひとりです。
以下、赤嶺さんがお話しされた内容を『基地で働く』で一部補足して紹介します。
昭和18年(1943年)に生まれた赤嶺さんは、自分の命を周りの人に「生かされた命」と感じていたそうです。
米軍基地の牧港補給基地に就職し、ベトナム戦争の最中に、物資を管理する仕事をしました。
その中で、ベトナム戦争に加担している、人殺しの手伝いをしているという意識にさいなまれるようになります。
ベトナム戦争が終結に近づいた1975年、米軍は基地従業員の大量解雇を行い、牧港補給基地でも多くの女性が解雇されました。
そこで、解雇された女性たちで保育園をつくるという挑戦が始まりました。
難関の国家試験に合格して、保母資格を取らなければならないという試練を乗り越えることができたのは、米軍基地であんな思いをして働きたくない、人を育てる仕事、誇りが持てる仕事をしたいという思いからでした。
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参加者同士で、「沖縄で生まれ育って、基地があるのは当たり前だと感じてきた。でも、当たり前じゃない」、「(普天間基地の移設をめぐって)なんで沖縄の人同士がケンカさせられるのって。納得できない」、「米軍基地を置き続けることが「戦争に加担している」という意識がないと、沖縄は変わらない。歴史も過去も知らないと、未来は変わらない(変えられない)」、「米軍基地の存在が、被害者も加害者も生み続けている。負の連鎖がある」など、率直な感想を話し合いました。
磯野直さん、赤嶺時子さん、参加してくださったみなさん、ありがとうございました!
ゲストに、主な執筆者の磯野直さんを迎えて、30人余が参加しました。
米軍基地の元従業員へのインタビューに取り組んだ経緯、次々と取材を断られ、今もなお存在する米軍基地が元従業員への無言の圧力になっていると思い知らされたことなど、非常にひきこまれる内容でした。
その後、参加者同士でこの本について意見交換しましたが、もっと時間がほしかったという声がありました。
そこで、6月24日に第2回を行いました。
会場がレストランということもあり、ゲストの磯野直さん、赤嶺時子さんを含めて14人の参加でしたが、その分じっくりとお話しできました。
赤嶺時子さんは、『基地で働く』の121~125頁に登場する、米軍基地を解雇された女性たちで保育園をつくったメンバーのひとりです。
以下、赤嶺さんがお話しされた内容を『基地で働く』で一部補足して紹介します。
昭和18年(1943年)に生まれた赤嶺さんは、自分の命を周りの人に「生かされた命」と感じていたそうです。
米軍基地の牧港補給基地に就職し、ベトナム戦争の最中に、物資を管理する仕事をしました。
その中で、ベトナム戦争に加担している、人殺しの手伝いをしているという意識にさいなまれるようになります。
ベトナム戦争が終結に近づいた1975年、米軍は基地従業員の大量解雇を行い、牧港補給基地でも多くの女性が解雇されました。
そこで、解雇された女性たちで保育園をつくるという挑戦が始まりました。
難関の国家試験に合格して、保母資格を取らなければならないという試練を乗り越えることができたのは、米軍基地であんな思いをして働きたくない、人を育てる仕事、誇りが持てる仕事をしたいという思いからでした。

参加者同士で、「沖縄で生まれ育って、基地があるのは当たり前だと感じてきた。でも、当たり前じゃない」、「(普天間基地の移設をめぐって)なんで沖縄の人同士がケンカさせられるのって。納得できない」、「米軍基地を置き続けることが「戦争に加担している」という意識がないと、沖縄は変わらない。歴史も過去も知らないと、未来は変わらない(変えられない)」、「米軍基地の存在が、被害者も加害者も生み続けている。負の連鎖がある」など、率直な感想を話し合いました。
磯野直さん、赤嶺時子さん、参加してくださったみなさん、ありがとうございました!
6月8日「米軍による土壌汚染を考える」報告
2016年06月13日
6月8日の「~足元に迫る危険~米軍による土壌汚染を考える」は、140人を超える方々にご参加いただきました。
ドキュメンタリー上映にご協力くださった琉球朝日放送をはじめ、テレビ朝日、沖縄テレビ、琉球放送、沖縄タイムス、琉球新報の報道関係者もも来てくれました。
ジョン・ミッチェルさんが資料を入手した海兵隊新人教育研修が大きな反響を呼んだこともありますが、米軍の土壌汚染への危機感や健康への不安を感じて参加した方が多かったようです。
普段の集会では見かけない方が大勢参加されました。
QABドキュメンタリー「枯葉剤を浴びた島2 ドラム缶が語る終わらない戦争」上映、河村雅美さんの報告、ジョン・ミッチェルさんの報告の後、質疑応答が行われました。
ちなみに、同日開催の「追悼・抗議集会」(アレン・ネルソン奨学会沖縄も賛同団体)も成功し、大きく注目されました。
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当日の様子が沖縄タイムスに紹介されました。
2016年6月9日 沖縄タイムス
米軍汚染 県民に知る権利
報告会 英記者ら行使を訴え
報告会「米軍による土壌汚染を考える」(主催・アレン・ネルソン奨学会沖縄)が8日、西原町の沖縄キリスト教学院大学であり、英国人ジャーナリストのジョン・ミッチェルさんと、「インフォームド・パブリック・プロジェクト(IPP)」の河村雅美代表が米軍による土壌汚染の現状や歴史について報告した。ミッチェルさんは「米軍は70年間、沖縄の土地と海、空気を破壊してきた。県民には安全を知る権利、真実を知る権利がある」と訴えた。
「沖縄を70年間破壊」
ミッチェルさんは、情報公開で入手したキャンプ・キンザーの汚染に関する1986年の内部報告書で「魚の大量死の原因は高濃度ポリ塩化ビフェニール(PCB)や殺虫剤、重金属だ」と記されていると紹介。県の調査でも鉛などが検出されたことを受けて「キンザーは何十年も汚染されてきたと考えられる」と述べた。
嘉手納基地では、残留性有機汚染物質のフッ素化合物PFOS(ピーホス)を含む可能性がある泡消火剤を使った消火訓練が定期的に実施されていると説明。米国内でも泡消火剤は使用されているが、米国では基地内の水源など600ヵ所を調査することが決まり、日本の米軍基地内では調査されないと指摘した。
河村さんは沖縄市サッカー場のドラム缶問題などを紹介。県や市町村は「政府の責任だ」として主体的に動かずに、早期収束を図ろうとする姿勢がありメディアの追及も足りないと指摘。「市民が打って出ていかないと情報は出てこない。行政は動かせない」と訴えた。
ドキュメンタリー上映にご協力くださった琉球朝日放送をはじめ、テレビ朝日、沖縄テレビ、琉球放送、沖縄タイムス、琉球新報の報道関係者もも来てくれました。
ジョン・ミッチェルさんが資料を入手した海兵隊新人教育研修が大きな反響を呼んだこともありますが、米軍の土壌汚染への危機感や健康への不安を感じて参加した方が多かったようです。
普段の集会では見かけない方が大勢参加されました。
QABドキュメンタリー「枯葉剤を浴びた島2 ドラム缶が語る終わらない戦争」上映、河村雅美さんの報告、ジョン・ミッチェルさんの報告の後、質疑応答が行われました。
ちなみに、同日開催の「追悼・抗議集会」(アレン・ネルソン奨学会沖縄も賛同団体)も成功し、大きく注目されました。


当日の様子が沖縄タイムスに紹介されました。
2016年6月9日 沖縄タイムス
米軍汚染 県民に知る権利
報告会 英記者ら行使を訴え
報告会「米軍による土壌汚染を考える」(主催・アレン・ネルソン奨学会沖縄)が8日、西原町の沖縄キリスト教学院大学であり、英国人ジャーナリストのジョン・ミッチェルさんと、「インフォームド・パブリック・プロジェクト(IPP)」の河村雅美代表が米軍による土壌汚染の現状や歴史について報告した。ミッチェルさんは「米軍は70年間、沖縄の土地と海、空気を破壊してきた。県民には安全を知る権利、真実を知る権利がある」と訴えた。
「沖縄を70年間破壊」
ミッチェルさんは、情報公開で入手したキャンプ・キンザーの汚染に関する1986年の内部報告書で「魚の大量死の原因は高濃度ポリ塩化ビフェニール(PCB)や殺虫剤、重金属だ」と記されていると紹介。県の調査でも鉛などが検出されたことを受けて「キンザーは何十年も汚染されてきたと考えられる」と述べた。
嘉手納基地では、残留性有機汚染物質のフッ素化合物PFOS(ピーホス)を含む可能性がある泡消火剤を使った消火訓練が定期的に実施されていると説明。米国内でも泡消火剤は使用されているが、米国では基地内の水源など600ヵ所を調査することが決まり、日本の米軍基地内では調査されないと指摘した。
河村さんは沖縄市サッカー場のドラム缶問題などを紹介。県や市町村は「政府の責任だ」として主体的に動かずに、早期収束を図ろうとする姿勢がありメディアの追及も足りないと指摘。「市民が打って出ていかないと情報は出てこない。行政は動かせない」と訴えた。
6月8日「米軍による土壌汚染を考える」
2016年06月03日
沖縄市サッカー場でドラム缶が発見されて今月13日で3年になります。
この事件は、米軍基地と隣り合わせで暮らす私たちの足元の危険を浮き彫りにしました。
今回は、次々に明らかになる返還軍用地、そして日米政府が未だ明らかにしていない基地内の汚染について、調査の最前線にいる2人からお話を聞きます。
日程 6月8日(水)午後6時~
会場 キリスト教学院大学シャローム会館
第1部 午後6時~ QABドキュメンタリー扉2016「枯葉剤を浴びた島2 ドラム缶が語る終わらない戦争」上映
第2部 午後7時~ 緊急報告 河村雅美氏 ジョン・ミッチェル氏
資料代 500円(学生は無料)
Posted by eiko2009 at
01:35
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アレンネルソン奨学金報告会
2015年04月06日
みなさま、こんにちは。
先日行われたベトナムの報告会の報告を致します。
日時 は、3月28日 土曜日 午後2時から4時で、沖縄キリスト教学院 で行いました。
参加者は18名で、読売テレビの方が3名来てくれました。
キリ学の学生のあいりさんが中心になって報告書を作り、
その報告書を参加者に紹介しながら会を進めました。
はじめに、代表の宜野座映子さんからアレン・ネルソン奨学金の今までの経緯の 紹介がありました。
そのあと、ベトナムコーヒーとベトナムのお菓子を食べながら、写真をみました。
ドンズー日本語学校(直美さん)、DAVA(由子)、タムキー市奨学金支給式 (さやかさん)、
クエソン郡奨学金支給式(あいりさん)について、それぞれ報告を行いました。
参加者からも「奨学金の運営をドンズー日本語学校の方々がやっている事を知った」
「枯れ葉剤の被害についてもっと知りたい」「ベトナムに行ってみたい」などの 感想がありました。
参加していただいた皆さん、ありがとうございました。
この報告会をまた次につなげていきたいと思います。
シン カムオン
また、読売テレビがアレンネルソンさんについての番組を5月3日の憲法記念日に 東京などで放映するそうです。
沖縄での放映は6月頃になるそうです。日時が決まったらまたお知らせ致します。
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先日行われたベトナムの報告会の報告を致します。
日時 は、3月28日 土曜日 午後2時から4時で、沖縄キリスト教学院 で行いました。
参加者は18名で、読売テレビの方が3名来てくれました。
キリ学の学生のあいりさんが中心になって報告書を作り、
その報告書を参加者に紹介しながら会を進めました。
はじめに、代表の宜野座映子さんからアレン・ネルソン奨学金の今までの経緯の 紹介がありました。
そのあと、ベトナムコーヒーとベトナムのお菓子を食べながら、写真をみました。
ドンズー日本語学校(直美さん)、DAVA(由子)、タムキー市奨学金支給式 (さやかさん)、
クエソン郡奨学金支給式(あいりさん)について、それぞれ報告を行いました。
参加者からも「奨学金の運営をドンズー日本語学校の方々がやっている事を知った」
「枯れ葉剤の被害についてもっと知りたい」「ベトナムに行ってみたい」などの 感想がありました。
参加していただいた皆さん、ありがとうございました。
この報告会をまた次につなげていきたいと思います。
シン カムオン
また、読売テレビがアレンネルソンさんについての番組を5月3日の憲法記念日に 東京などで放映するそうです。
沖縄での放映は6月頃になるそうです。日時が決まったらまたお知らせ致します。

Posted by eiko2009 at
21:31
│Comments(1)
クエソンでの奨学金支給式
2015年03月06日
・2015年2月14日(土)
アレン・ネルソン奨学金支給式(クエソン群)
場所:クエソン群教育委員会
出会った人:クエソン群奨学会会長, TRAN NGOC DU(トラン・ゴック・ユー)
:ドンズー日本語学校校長(チン・ディン・タン先生)
副校長(トゥアン先生)
クエソン群の子どもたち36名に奨学金を支給しました。クエソン群はタムキー市より貧困家庭の子どもたちが多くいると聞きました。まず奨学会会長の挨拶があり、その後アレン・ネルソン奨学金の代表として又吉さやかさんが挨拶を行いました。又吉さんの挨拶をみんな一生懸命聞いていて拍手も起こり和やかな雰囲気での支給式でした。
そして学生代表として小学校2年生の子が挨拶を行いました。挨拶が終わった後、子どもたちに賞状と奨学金を手渡しで支給することが出来ました。
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賞状にはドンズー日本語学校の教職員、生徒さんが1人1人の名前を賞状に記入してくれました。その後、ドンズー日本語学校校長のタン先生が挨拶を行い、アレン・ネルソン奨学金のことを丁寧に再度みなさんに伝えてくれました。支給式後は私たちが用意したパンフレットに記載されている「将来の夢」の箇所を記入してもらい、ぬりえをしてもらう時間がありました。子どもたちはこの時間をとても楽しんでいたように感じます。
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支給式後は子どものお宅訪問をしました。入りくんだところにお家があり周りは田んぼや木や草で本当に自然の中にありました。ボランティアをする際、モノを与えすぎないことが本当に大事でその加減がとても難しいということが分かりました。
生まれた場所は選ぶことが出来ません。日頃から私たちは自分がいる環境などに感謝していかなければいけないと感じました。精一杯悔いなく全力で生きていかないといけないと思いました。アレン・ネルソン奨学金で多くの子どもたちが学び、自分の道を切り開いてほしいと思います。子どもたちの素敵な笑顔が未来に繋がっていってほしいと思いました。
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アレン・ネルソン奨学金支給式(クエソン群)
場所:クエソン群教育委員会
出会った人:クエソン群奨学会会長, TRAN NGOC DU(トラン・ゴック・ユー)
:ドンズー日本語学校校長(チン・ディン・タン先生)
副校長(トゥアン先生)
クエソン群の子どもたち36名に奨学金を支給しました。クエソン群はタムキー市より貧困家庭の子どもたちが多くいると聞きました。まず奨学会会長の挨拶があり、その後アレン・ネルソン奨学金の代表として又吉さやかさんが挨拶を行いました。又吉さんの挨拶をみんな一生懸命聞いていて拍手も起こり和やかな雰囲気での支給式でした。
そして学生代表として小学校2年生の子が挨拶を行いました。挨拶が終わった後、子どもたちに賞状と奨学金を手渡しで支給することが出来ました。


賞状にはドンズー日本語学校の教職員、生徒さんが1人1人の名前を賞状に記入してくれました。その後、ドンズー日本語学校校長のタン先生が挨拶を行い、アレン・ネルソン奨学金のことを丁寧に再度みなさんに伝えてくれました。支給式後は私たちが用意したパンフレットに記載されている「将来の夢」の箇所を記入してもらい、ぬりえをしてもらう時間がありました。子どもたちはこの時間をとても楽しんでいたように感じます。

支給式後は子どものお宅訪問をしました。入りくんだところにお家があり周りは田んぼや木や草で本当に自然の中にありました。ボランティアをする際、モノを与えすぎないことが本当に大事でその加減がとても難しいということが分かりました。
生まれた場所は選ぶことが出来ません。日頃から私たちは自分がいる環境などに感謝していかなければいけないと感じました。精一杯悔いなく全力で生きていかないといけないと思いました。アレン・ネルソン奨学金で多くの子どもたちが学び、自分の道を切り開いてほしいと思います。子どもたちの素敵な笑顔が未来に繋がっていってほしいと思いました。

城間愛里
Posted by eiko2009 at
14:47
│Comments(1)
タムキーでの奨学金支給式
2015年03月06日
ベトナムに到着して三日目、私たちはこの旅の目的の奨学金を子どもたちへ届けるためタムキー市へ向かいました。
実は、私はベトナムへ行くのを直前まで迷っていました。私はベトナムへ行ってもいい人なのか、と複雑な気持ちを抱いていました。沖縄にある基地からベトナムへ戦闘機が飛んでしまったこと私はこれからベトナムの地を歩き、ベトナムのご飯を食べ、ベトナムの文化、言葉に触れる。そして、沖縄にある基地からベトナム戦争へ戦闘機が飛んでしまったこと。
けれど、アレンさんの遺志を改めて聞き、私も継ぎたいと感じましたし、複雑でもこの旅は一人じゃないことがとても私にとって大きかったのだと思っています。
タムキー市ではドンズー日本語学校のチンディンタン校長先生にたくさんのサポートをして頂きました。
まず、いっしょに訪れた仲間の宜野座由子さんがあいさつとこのアレン・ネルソン奨学金の説明をしてくれました。
その後、子どもたちの代表の一人があいさつをしてくれました。そして、子どもたち一人ひとりに賞状を手渡しました。ぬり絵の時に子どもたちへクレヨンを渡すと楽しそうに無我夢中になって描いている子もいれば、本当に色んな色をつかってもいいの?との表情を見せる子もいました。将来の夢は、先生が一番多く、大工さん、絵描きさん、と絵で表現してくれました。

私が「マイトゥイ?」(いくつ?)と尋ねると、10歳と指で教えてくれたり、「シンチャオ。トイテンラーさやか。」(こんにちは。私の名前はさやかです)と聞くとなんだか自然と笑顔になって私も嬉しくなりました。
いちばん私の心に残っている人は、帰り際に何度も何度も「シンカモン」(ありがとう)と言っていた女の子のお母さんがいました。私のほうがベトナムの人の笑顔と言葉に励まされていました。

又吉さやか
Posted by eiko2009 at
13:53
│Comments(0)
DAVAを訪問して
2015年03月02日
2月13日の午後に、枯れ葉剤被害者の支援をおこなっているDAVA(ダナン市枯れ葉剤被害者の会)という団体を訪ねた。DAVAは現在、155名の子どもたちを支援している。私たちが訪れたときは、約30名の子どもたちがデイケアーに集まり、勉強や絵を描いて活動していた。
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彼らは、沖縄から来た私たちを、ベトナムの子どもの歌や「オッパ、カンナムスタイル」の踊りで歓迎してくれた。その後、代表のグェン・ティ・ヒエンさんは、「私は去年、枯れ葉剤の被害の話をするために沖縄を訪れました。今日このように沖縄の方々と再会できたことに感動しました。」とあいさつをしました。
「ダナンには約5000名の被害者のこどもたちがいます。子どもたちのために、多くの金銭的な支援が必要です。」と語っていた。
DAVAの子どもたちはとても生き生きしていて、大切にされているのことが伝わってきた。子どもたちの描いた家族やお正月(テト)の絵は、力強く、幸せそうなものが多かった。私たちは、子どもたちからたくさんの笑顔とやさしさをもらうことができた。
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帰りには、グェンさんから手作りの新年の飾り物のおみやげをいただいた。感謝いたします。

彼らは、沖縄から来た私たちを、ベトナムの子どもの歌や「オッパ、カンナムスタイル」の踊りで歓迎してくれた。その後、代表のグェン・ティ・ヒエンさんは、「私は去年、枯れ葉剤の被害の話をするために沖縄を訪れました。今日このように沖縄の方々と再会できたことに感動しました。」とあいさつをしました。
「ダナンには約5000名の被害者のこどもたちがいます。子どもたちのために、多くの金銭的な支援が必要です。」と語っていた。
DAVAの子どもたちはとても生き生きしていて、大切にされているのことが伝わってきた。子どもたちの描いた家族やお正月(テト)の絵は、力強く、幸せそうなものが多かった。私たちは、子どもたちからたくさんの笑顔とやさしさをもらうことができた。

帰りには、グェンさんから手作りの新年の飾り物のおみやげをいただいた。感謝いたします。
宜野座由子
Posted by eiko2009 at
16:40
│Comments(0)
ドンズー日本語学校
2015年02月28日
2月13日(金)
午前中はドンズー日本語学校へ
交流した方々:日本語学校の先生方(タン校長、イ先生、カン先生)、学生さん(中級、初級クラス合計25名)
日本語学校の中級、初級の2クラスとの交流を行なった。
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ドンズー日本語学校は、朝、昼、夜の3クラスを3ヶ月単位で受講できる学校、平均500名の学生さんが学んでいる。校長先生は千葉大学に留学した経験を持つ30歳のタン先生で、26歳から本学で校長を務めているとのこと。この日の交流から最後の日まで、何から何まで手配をしてくださった大変親切な方だった。
日本語クラスの学生さんは、学ぶ動機は様々で、日本のアニメ、アイドル、歌手からの影響が大きいようだった。
日本語や日本の文化を通して学んでいることは
・日本を旅行してみたい ・翻訳してみたい ・ドラマにはまっている
・日本で働いてみたい ・東京、京都、大阪にあこがれている
・漫画が面白い ・剣道をやっている
という意見があり、若者らしい興味関心だなと思った。
テト祭前で、街中も活気づいていたが、学生さんも田舎に帰る直前でわくわくしているようで、自然とテト祭の話になった。
テト祭とは?…旧暦の正月で、とても大事な行事、家族みんなで家に集まり、年が明けると神社に行き、その後ご馳走を食べたり、子どもたちはお年玉をもらったり、大人たちはプレゼントを贈り合う(日本のお歳暮のような仕組み)風習とのこと。
日本や沖縄のことを伝えると同時に、ベトナムの知っていることや、私たちがベトナムのことに興味関心があることを伝えるとすごく嬉しそうで、ベトナムのお薦め料理を紹介していただくと。ブン、フォー、バインセウ、ツェーなどいろんな名前を紹介してくれた。
沖縄の私たちの訪問理由、ベトナム戦争と沖縄の関係の話し、ベトナムの子どもたちに奨学金を送っているお話をして、沖縄の歌、「てぃんさぐぬ花」を一緒に歌い、ベトナムからも似たような親子愛の歌を披露してもらい、楽しい交流の一時を持った。
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(今日の日程のメンバーの感想)
・初めてあったのにそんな感じはなかった。一瞬ではなく、これから繋がろうという想い。
・すごく優しく、あっち側、こっち側ではなく、伝えなきゃでもなく、お互いに繋がろうという想い
・ここは沖縄かな?と思わせる感覚があった
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午前中はドンズー日本語学校へ
交流した方々:日本語学校の先生方(タン校長、イ先生、カン先生)、学生さん(中級、初級クラス合計25名)
日本語学校の中級、初級の2クラスとの交流を行なった。

ドンズー日本語学校は、朝、昼、夜の3クラスを3ヶ月単位で受講できる学校、平均500名の学生さんが学んでいる。校長先生は千葉大学に留学した経験を持つ30歳のタン先生で、26歳から本学で校長を務めているとのこと。この日の交流から最後の日まで、何から何まで手配をしてくださった大変親切な方だった。
日本語クラスの学生さんは、学ぶ動機は様々で、日本のアニメ、アイドル、歌手からの影響が大きいようだった。
日本語や日本の文化を通して学んでいることは
・日本を旅行してみたい ・翻訳してみたい ・ドラマにはまっている
・日本で働いてみたい ・東京、京都、大阪にあこがれている
・漫画が面白い ・剣道をやっている
という意見があり、若者らしい興味関心だなと思った。
テト祭前で、街中も活気づいていたが、学生さんも田舎に帰る直前でわくわくしているようで、自然とテト祭の話になった。
テト祭とは?…旧暦の正月で、とても大事な行事、家族みんなで家に集まり、年が明けると神社に行き、その後ご馳走を食べたり、子どもたちはお年玉をもらったり、大人たちはプレゼントを贈り合う(日本のお歳暮のような仕組み)風習とのこと。
日本や沖縄のことを伝えると同時に、ベトナムの知っていることや、私たちがベトナムのことに興味関心があることを伝えるとすごく嬉しそうで、ベトナムのお薦め料理を紹介していただくと。ブン、フォー、バインセウ、ツェーなどいろんな名前を紹介してくれた。
沖縄の私たちの訪問理由、ベトナム戦争と沖縄の関係の話し、ベトナムの子どもたちに奨学金を送っているお話をして、沖縄の歌、「てぃんさぐぬ花」を一緒に歌い、ベトナムからも似たような親子愛の歌を披露してもらい、楽しい交流の一時を持った。

(今日の日程のメンバーの感想)
・初めてあったのにそんな感じはなかった。一瞬ではなく、これから繋がろうという想い。
・すごく優しく、あっち側、こっち側ではなく、伝えなきゃでもなく、お互いに繋がろうという想い
・ここは沖縄かな?と思わせる感覚があった

玉城直美
Posted by eiko2009 at
17:21
│Comments(0)
思いと共に、ベトナムへ
2015年02月28日
シンチャオー、こんにちわ
私たちは、アレンさんの遺志を受け継ぎ、ベトナムの子どもたちへ奨学金を届けるため、
2/12(木)~2/16(月)にベトナムへ行ってきました!
空港では一人ひとりの決意を共有し、見送りに来てくれた仲間からは応援の言葉をいただきました。
「アレンさんもこの場でいっしょに喜んでくれているようだよ」との思いも胸に、
今回4人の仲間と共に飛び立ちました
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ベトナムの地へ着いたときの印象は、人々であふれ、街よりも人が生きているなと感じました。
私たちはおもにダナンというベトナムの中心にある地から
・ドンズー日本語学校
・枯れ葉剤NGO DAVA
・タムキーでの奨学金支給式
・クエソンでの奨学金支給式 の四か所を訪れました。

私たちは、アレンさんの遺志を受け継ぎ、ベトナムの子どもたちへ奨学金を届けるため、
2/12(木)~2/16(月)にベトナムへ行ってきました!
空港では一人ひとりの決意を共有し、見送りに来てくれた仲間からは応援の言葉をいただきました。
「アレンさんもこの場でいっしょに喜んでくれているようだよ」との思いも胸に、
今回4人の仲間と共に飛び立ちました


ベトナムの地へ着いたときの印象は、人々であふれ、街よりも人が生きているなと感じました。
私たちはおもにダナンというベトナムの中心にある地から
・ドンズー日本語学校
・枯れ葉剤NGO DAVA
・タムキーでの奨学金支給式
・クエソンでの奨学金支給式 の四か所を訪れました。
又吉さやか
Posted by eiko2009 at
16:12
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子どもたちと大きな絵を作りました。
2014年08月16日
6月8日(日)にアレン・ネルソン奨学金のパンフレットに載せるための絵を作りました。
当日の参加者は、こども19名、大学生4名、大人18名でした。
こどもたちとアートの活動をされてきた川上まきさんをお招きして、ワークショップを行いました。
初めに、アレンさんの生い立ちを話しながら、アレンさんがベトナム戦争に行ったこと、そして沖縄の人たちとつながっていったことをこどもたちに伝えました。
それからアレン・ネルソン基金について説明し、作品づくりがスタートしました。
ワークショップでは、3m×3mの大きな地球が描かれた紙に、こどもたちが好きな色のペンキを足の裏に塗って、歌に合わせて歩きました。
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次は、絵の具をつけたビー玉を箱の中で思いのままに転がし、作品を作りました。(「ビー玉ころころ」)
単純だけど楽しくて続けてしまうこのワークショップに、こどもも大人も我を忘れて熱中しました。
最後に画用紙に好きな絵を描いて、その作品を部屋いっぱいに飾りました。
こどもたちからは、「ビー玉が楽しかった。」「絵を描くのが楽しかった。」と感想が聞かれました。
ワークショップをリードしてくれたまきさんは、「絵はみんなの気持ちが表れます。今日はみんなのたくさんの笑顔が絵に表れています。きっと、ベトナムのこどもたちにもこの笑顔が届くと思います。」と語ってくれました。
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たくさんのこどもたち、それからサポートしてくれるおとなたちが集まり、とてもステキな一日になりました。
これからも1年に1度は、こどもたちのワークショップをやれたらいいなと思っています。
6月18日の琉球新報にもこの時の様子が載りました。
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報告:宜野座 由子
当日の参加者は、こども19名、大学生4名、大人18名でした。
こどもたちとアートの活動をされてきた川上まきさんをお招きして、ワークショップを行いました。
初めに、アレンさんの生い立ちを話しながら、アレンさんがベトナム戦争に行ったこと、そして沖縄の人たちとつながっていったことをこどもたちに伝えました。
それからアレン・ネルソン基金について説明し、作品づくりがスタートしました。
ワークショップでは、3m×3mの大きな地球が描かれた紙に、こどもたちが好きな色のペンキを足の裏に塗って、歌に合わせて歩きました。
次は、絵の具をつけたビー玉を箱の中で思いのままに転がし、作品を作りました。(「ビー玉ころころ」)
単純だけど楽しくて続けてしまうこのワークショップに、こどもも大人も我を忘れて熱中しました。
最後に画用紙に好きな絵を描いて、その作品を部屋いっぱいに飾りました。
こどもたちからは、「ビー玉が楽しかった。」「絵を描くのが楽しかった。」と感想が聞かれました。
ワークショップをリードしてくれたまきさんは、「絵はみんなの気持ちが表れます。今日はみんなのたくさんの笑顔が絵に表れています。きっと、ベトナムのこどもたちにもこの笑顔が届くと思います。」と語ってくれました。
たくさんのこどもたち、それからサポートしてくれるおとなたちが集まり、とてもステキな一日になりました。
これからも1年に1度は、こどもたちのワークショップをやれたらいいなと思っています。
6月18日の琉球新報にもこの時の様子が載りました。

報告:宜野座 由子
第1回パンフレット制作会議
2014年04月24日
来年度の奨学金支給式に向けて、アレン・ネルソン奨学金のパンフレットを作ることになりました。
奨学金を受給するベトナムの小学生に配布するためです。
3月1日に第1回パンフレット制作会議を開き、小学生や大学生をふくむ10人でアイディアを出し合いました。
大切にしたいこと&コンセプト(内容)
・アレン・ネルソンさんについて伝えたい。
・アレンさんの写真、もしくはイラスト
・アレンさんのことば
・奨学金の沖縄の連絡先
・沖縄とベトナムとアレンさんのつながり
・ベトナムと沖縄の子どもたちが感じられるように
・共に生きる世界、平和な未来が訪れるようにという願い
・戦争があってはいけない、平和が大切というベトナムと沖縄とアレンさんの想い。
・加害者にも被害者にもならないという想いからこの奨学金が生まれた。
・小学校5年生に伝わる内容。
・ぬりえのコーナーを作る(参加型)
・将来の夢を書くコーナーを作る(参加型)
・表紙に沖縄の子どもたちが描いた絵などを載せる。
次回は、これらのアイディアをもとに、さらに具体的な内容を話し合う予定です。
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奨学金を受給するベトナムの小学生に配布するためです。
3月1日に第1回パンフレット制作会議を開き、小学生や大学生をふくむ10人でアイディアを出し合いました。
大切にしたいこと&コンセプト(内容)
・アレン・ネルソンさんについて伝えたい。
・アレンさんの写真、もしくはイラスト
・アレンさんのことば
・奨学金の沖縄の連絡先
・沖縄とベトナムとアレンさんのつながり
・ベトナムと沖縄の子どもたちが感じられるように
・共に生きる世界、平和な未来が訪れるようにという願い
・戦争があってはいけない、平和が大切というベトナムと沖縄とアレンさんの想い。
・加害者にも被害者にもならないという想いからこの奨学金が生まれた。
・小学校5年生に伝わる内容。
・ぬりえのコーナーを作る(参加型)
・将来の夢を書くコーナーを作る(参加型)
・表紙に沖縄の子どもたちが描いた絵などを載せる。
次回は、これらのアイディアをもとに、さらに具体的な内容を話し合う予定です。
謝罪の言葉をもってベトナムに戻る
2013年12月29日
2005年、アレンさんはピースボートに乗ってダナンを訪れ、ベトナムの人々に謝罪しました。当時のベトナムの新聞記事がみつかったので、記事の一部を紹介します。
ティエンフォン紙 2005年6月2日
謝罪の言葉をもってベトナムに戻る
先月末ダナンに寄港した日本のピースボートの一団の中に、目にするものほとんどすべてをカメラで記録している、大柄で物静かな黒人男性がいた。彼はすべてを、詳細かつ丁寧に記録していた。時々、彼は首を回して、ひそかに涙を拭っているように見えた。その人はアレン・ネルソン氏。1966年6月にダナンに上陸した、元米海兵隊員である。その時、アレン・ネルソン氏は18歳になったばかりだった。
ダナンの人々と会って、アレン・ネルソン氏は声を詰まらせて話した。
「39年前、私は罪を犯すために、最新の兵器を積んだ戦艦でベトナムに来ました。いま、私たちはベトナムの方々に謝罪の言葉を伝えるために、ピースボートに乗ってこの国に戻ってきました。私たちは、米政府がベトナムの方々に謝罪すること、彼らが皆さんの国で引き起こした戦争の被害に賠償することを、要求しています」
この57歳の元兵士は、彼が参加した非道な戦争の重い傷跡を、身体に留めている。アメリカに戻ったあと、彼は仕事も家もなく、「ベトナム戦争後遺症」と呼ばれる病気に苦しめられた。18年もの治療を経て、彼はようやく自らが引き起こした罪悪についての妄想を、克服することができた。
日本に渡って、アレン・ネルソン夫妻は積極的に平和活動に加わるようになった。彼は、ベトナムや世界各地をピースボートで訪ね、平和を訴えていることを語った。
原文はこちらです。
http://www.tienphong.vn/xa-hoi/11187/Tro-lai-Viet-Nam-voi-loi-xin-loi.html
ティエンフォン紙 2005年6月2日
謝罪の言葉をもってベトナムに戻る
先月末ダナンに寄港した日本のピースボートの一団の中に、目にするものほとんどすべてをカメラで記録している、大柄で物静かな黒人男性がいた。彼はすべてを、詳細かつ丁寧に記録していた。時々、彼は首を回して、ひそかに涙を拭っているように見えた。その人はアレン・ネルソン氏。1966年6月にダナンに上陸した、元米海兵隊員である。その時、アレン・ネルソン氏は18歳になったばかりだった。
ダナンの人々と会って、アレン・ネルソン氏は声を詰まらせて話した。
「39年前、私は罪を犯すために、最新の兵器を積んだ戦艦でベトナムに来ました。いま、私たちはベトナムの方々に謝罪の言葉を伝えるために、ピースボートに乗ってこの国に戻ってきました。私たちは、米政府がベトナムの方々に謝罪すること、彼らが皆さんの国で引き起こした戦争の被害に賠償することを、要求しています」
この57歳の元兵士は、彼が参加した非道な戦争の重い傷跡を、身体に留めている。アメリカに戻ったあと、彼は仕事も家もなく、「ベトナム戦争後遺症」と呼ばれる病気に苦しめられた。18年もの治療を経て、彼はようやく自らが引き起こした罪悪についての妄想を、克服することができた。
日本に渡って、アレン・ネルソン夫妻は積極的に平和活動に加わるようになった。彼は、ベトナムや世界各地をピースボートで訪ね、平和を訴えていることを語った。
原文はこちらです。
http://www.tienphong.vn/xa-hoi/11187/Tro-lai-Viet-Nam-voi-loi-xin-loi.html
琉球新報が紹介してくれました
2013年12月26日
アレン・ネルソン奨学金の支給式について、琉球新報が記事にしてくれました。
2013年12月9日 琉球新報
アレン・ネルソン基金
ベトナム児童に奨学金 元米兵の反戦の遺志継ぐ
元米海兵隊員で反戦活動家の故アレン・ネルソンさんの遺志を継ぎ、ベトナムの子どもたちを支援する「アレン・ネルソン基金沖縄」と「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」の関係者ら8人がこのほど、ベトナムへ渡り現地の小学生112人に奨学金を手渡した。基金代表の宜野座映子さん(66)は「アレンは最後まで反戦を訴え続けた。彼の思いを今後も伝えたい」と話した。
ネルソンさんは県北部にある米軍キャンプ・ハンセンで訓練を受け、ベトナム戦争に送られた。退役後は戦場での殺人経験などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみながらも、反戦を訴え全国で2000回以上講演した。
奨学金はネルソンさんの死後、闘病支援のため募った寄付の残金を元に2010年に設立された。支給は4度目。
今回は、かつて米軍が進駐したクアンナム省タムキー市とクエソン郡にある2小学校の児童に1人50万ドン(約2500円)を支給した。会によると、この地域の貧困家庭の月収に相当する。アレンさんの活動を伝える冊子も手渡した。
児童からは「頑張りを認めてくれてありがとう」との感謝の言葉と歌のプレゼントがあった。
参加した門口涼子さん(26)は「沖縄から飛んだ戦闘機がベトナムを攻撃した歴史があり、複雑な気持ちだった。先生たちが二度と子どもたちに戦争を経験させたくなという強い思いが伝わった」と話した。森屋菜津美さん(27)は「子どもたちの澄んだ目が印象的だった。今後もできることをしたい」と語った。
2013年12月9日 琉球新報
アレン・ネルソン基金
ベトナム児童に奨学金 元米兵の反戦の遺志継ぐ
元米海兵隊員で反戦活動家の故アレン・ネルソンさんの遺志を継ぎ、ベトナムの子どもたちを支援する「アレン・ネルソン基金沖縄」と「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」の関係者ら8人がこのほど、ベトナムへ渡り現地の小学生112人に奨学金を手渡した。基金代表の宜野座映子さん(66)は「アレンは最後まで反戦を訴え続けた。彼の思いを今後も伝えたい」と話した。
ネルソンさんは県北部にある米軍キャンプ・ハンセンで訓練を受け、ベトナム戦争に送られた。退役後は戦場での殺人経験などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみながらも、反戦を訴え全国で2000回以上講演した。
奨学金はネルソンさんの死後、闘病支援のため募った寄付の残金を元に2010年に設立された。支給は4度目。
今回は、かつて米軍が進駐したクアンナム省タムキー市とクエソン郡にある2小学校の児童に1人50万ドン(約2500円)を支給した。会によると、この地域の貧困家庭の月収に相当する。アレンさんの活動を伝える冊子も手渡した。
児童からは「頑張りを認めてくれてありがとう」との感謝の言葉と歌のプレゼントがあった。
参加した門口涼子さん(26)は「沖縄から飛んだ戦闘機がベトナムを攻撃した歴史があり、複雑な気持ちだった。先生たちが二度と子どもたちに戦争を経験させたくなという強い思いが伝わった」と話した。森屋菜津美さん(27)は「子どもたちの澄んだ目が印象的だった。今後もできることをしたい」と語った。
ベトナムに行ってきました!
2013年12月15日
11月22日~27日に「アレン・ネルソン基金沖縄の会」(宜野座映子代表)と「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」(高里鈴代代表)のメンバー8人で、ベトナム視察ツアーに行ってきました。
「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」は、長年ベトナムの就学困難な子どもたちを支援している団体です。
「アレン・ネルソン奨学金」設立から現在まで、ベトナムにある「青葉奨学会」と連携し、大きな役割を果たしています。
今回、私たちはアレン・ネルソン奨学金支給式に出席し、ベトナム側の関係者と意見交換を行いました。
支給式は、クアンナム省のタムキー市とクエソン郡の2ヵ所で行われました。
クアンナム省はベトナムの中部に位置し、ベトナム戦争中にアレンさんが駐留した地域です。
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タムキー市の支給式は、11月24日(日)朝8:30から約1時間、小学生62人と保護者、タムキー市の関係者と私たちが出席して開かれました。地元テレビ局のカメラも来ていました。
開会前に、ベトナム語に訳したアレンさんの冊子と沖縄のお菓子(ちんすこう)を子どもたち一人ひとりにプレゼントしました。
タムキー市奨学会の進行で開会し、私たちの歌う「継いでゆくもの」で始まりました。
タムキー市関係者のあいさつ、宜野座映子代表のあいさつ、奨学生代表のあいさつと歌、奨学生の名前が呼ばれ、20人ずつ舞台に並んで、一人ひとりに奨学金を手渡すという流れでした。
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私たちの歌は…個性的に自由に歌っていましたが、みなさまから温かい拍手をいただきました。
奨学生代表の女の子(小4)は「お金の面ではなく、私たちががんばっていることを認めてくれるのがうれしい。これからまたがんばりたい。」とあいさつし、「その気持ちで歌いたい」と、透きとおった歌声を響かせてくれました。
支給式が終わった後、タムキー市奨学会のスアン会長、トゥン副会長と意見交換の場を持ちました。そのなかで、トゥン副会長が、ベトナム戦争のとき、私はまだ子どもだったが、当時は敵だったアレン・ネルソンさんの奨学金に関わるようになり、少し複雑な気持ちだが、時代が変わったと思う、と話してくれました。さらに、アレンさんが「ピースボート」でダナンを訪れ、大勢のベトナムの人たちに向って謝罪をしたとき、その場で聞いて、とても感動したとのことでした。
私たちも、ベトナムの人たちが元米兵の名前がついた奨学金についてどう感じるのか、気になっていました。複雑な思いはあっても、アレンさんの深い謝罪の気持ちを受け取ったうえで、アレン・ネルソン奨学金にかかわってくださっているとわかり、私たちも感動し、安堵した瞬間でした。
午後には、山間部のクエソン郡の支給式に参加しました。14時前から約1時間、小学生50人と保護者、クエソン郡の関係者、私たちが出席しました。こちらもテレビ局が来ていました。
クエソン郡奨学会の進行で、高里鈴代代表のあいさつ、私たちの歌、クエソン郡奨学会会長のあいさつ、全員の名前を読み上げられ、10人ずつ前に並んで奨学金の手渡し、奨学生代表のあいさつ、別の奨学生代表の歌、参加者みんなで歌、という流れでした。
私たちが歌ったときに、手をたたいたり、手ぶりをまねしてくれたりと、こちらも温かい雰囲気でした。
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支給式が終わった後、急きょ、奨学生の一人の自宅を訪問しました。夫を亡くし、4人の子どもを育てているお母さんに少しだけお会いすることができました。
このことをきっかけに、アレンさんが戦場で出産に立ち会ったあの母子はその後どうなったのだろう、もしかして母子家庭になったのではないか…と想像したメンバーや、アレンさんも貧しい母子家庭で育ち、お腹いっぱい食べられる軍隊に入隊したと話していた…と思いだしたメンバーもいました。
この日は、ドンズー日本語学校ダナン校の先生、職員のみなさまに、送迎から通訳、各奨学会との連絡まで、大変お世話になりました。
11月26日(火)には、「ベトナム青葉奨学会」事務所のあるドンズー日本語学校本校(ホーチミン市)を訪れました。
青葉奨学会代表で「アレン・ネルソン奨学金」のベトナム側責任者であるホーエ校長先生、毎年、支給式に出席して奨学生にアレンさんの話をしてくださっているダナン校のタン校長先生と職員のみなさまにお会いすることができました。
奨学金に関して、何もかもベトナム側に頼っていたため、もしかして負担をかけているのではないか・・・と心配していたのですが、アレンさんのことをもっと知りたい、ベトナムの子どもたちのために役立てたいと積極的に取り組んでくださっていることが伝わってきました。
なお、2009年11月に「アレン・ネルソン基金」(沖縄と全国)から「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」を通して「ベトナム青葉奨学会」に送金された240万円は、498,144,400ベトナムドンに両替されてホーチミン市の農林銀行に預けられました。
預けてすぐの2010年度分の奨学金は預金から30,000,000ドン(約15万円)を使って支給されました。2011~2013年度分は利子だけを使って奨学金が支給されました。
今回(2014年度)は私たちの日程に合わせて例年より早い時期に支給式を行ったため、2014年1月に入る予定の利子を「ベトナム青葉奨学会」が立て替え、奨学金が支給されました。
ベトナム青葉奨学会、ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のみなさま、本当にありがとうございました!!
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ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のブログもご覧ください。
■2014年アレン・ネルソン奨学金
http://aobaokinawa.ti-da.net/e5631766.html
■タムキー市ラジオ・テレビ局
http://aobaokinawa.ti-da.net/e5637015.html
■ドンズー日本語学校のホームページより
http://aobaokinawa.ti-da.net/e5652909.html
「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」は、長年ベトナムの就学困難な子どもたちを支援している団体です。
「アレン・ネルソン奨学金」設立から現在まで、ベトナムにある「青葉奨学会」と連携し、大きな役割を果たしています。
今回、私たちはアレン・ネルソン奨学金支給式に出席し、ベトナム側の関係者と意見交換を行いました。
支給式は、クアンナム省のタムキー市とクエソン郡の2ヵ所で行われました。
クアンナム省はベトナムの中部に位置し、ベトナム戦争中にアレンさんが駐留した地域です。

タムキー市の支給式は、11月24日(日)朝8:30から約1時間、小学生62人と保護者、タムキー市の関係者と私たちが出席して開かれました。地元テレビ局のカメラも来ていました。
開会前に、ベトナム語に訳したアレンさんの冊子と沖縄のお菓子(ちんすこう)を子どもたち一人ひとりにプレゼントしました。
タムキー市奨学会の進行で開会し、私たちの歌う「継いでゆくもの」で始まりました。
タムキー市関係者のあいさつ、宜野座映子代表のあいさつ、奨学生代表のあいさつと歌、奨学生の名前が呼ばれ、20人ずつ舞台に並んで、一人ひとりに奨学金を手渡すという流れでした。

私たちの歌は…個性的に自由に歌っていましたが、みなさまから温かい拍手をいただきました。
奨学生代表の女の子(小4)は「お金の面ではなく、私たちががんばっていることを認めてくれるのがうれしい。これからまたがんばりたい。」とあいさつし、「その気持ちで歌いたい」と、透きとおった歌声を響かせてくれました。
支給式が終わった後、タムキー市奨学会のスアン会長、トゥン副会長と意見交換の場を持ちました。そのなかで、トゥン副会長が、ベトナム戦争のとき、私はまだ子どもだったが、当時は敵だったアレン・ネルソンさんの奨学金に関わるようになり、少し複雑な気持ちだが、時代が変わったと思う、と話してくれました。さらに、アレンさんが「ピースボート」でダナンを訪れ、大勢のベトナムの人たちに向って謝罪をしたとき、その場で聞いて、とても感動したとのことでした。
私たちも、ベトナムの人たちが元米兵の名前がついた奨学金についてどう感じるのか、気になっていました。複雑な思いはあっても、アレンさんの深い謝罪の気持ちを受け取ったうえで、アレン・ネルソン奨学金にかかわってくださっているとわかり、私たちも感動し、安堵した瞬間でした。
午後には、山間部のクエソン郡の支給式に参加しました。14時前から約1時間、小学生50人と保護者、クエソン郡の関係者、私たちが出席しました。こちらもテレビ局が来ていました。
クエソン郡奨学会の進行で、高里鈴代代表のあいさつ、私たちの歌、クエソン郡奨学会会長のあいさつ、全員の名前を読み上げられ、10人ずつ前に並んで奨学金の手渡し、奨学生代表のあいさつ、別の奨学生代表の歌、参加者みんなで歌、という流れでした。
私たちが歌ったときに、手をたたいたり、手ぶりをまねしてくれたりと、こちらも温かい雰囲気でした。

支給式が終わった後、急きょ、奨学生の一人の自宅を訪問しました。夫を亡くし、4人の子どもを育てているお母さんに少しだけお会いすることができました。
このことをきっかけに、アレンさんが戦場で出産に立ち会ったあの母子はその後どうなったのだろう、もしかして母子家庭になったのではないか…と想像したメンバーや、アレンさんも貧しい母子家庭で育ち、お腹いっぱい食べられる軍隊に入隊したと話していた…と思いだしたメンバーもいました。
この日は、ドンズー日本語学校ダナン校の先生、職員のみなさまに、送迎から通訳、各奨学会との連絡まで、大変お世話になりました。
11月26日(火)には、「ベトナム青葉奨学会」事務所のあるドンズー日本語学校本校(ホーチミン市)を訪れました。
青葉奨学会代表で「アレン・ネルソン奨学金」のベトナム側責任者であるホーエ校長先生、毎年、支給式に出席して奨学生にアレンさんの話をしてくださっているダナン校のタン校長先生と職員のみなさまにお会いすることができました。
奨学金に関して、何もかもベトナム側に頼っていたため、もしかして負担をかけているのではないか・・・と心配していたのですが、アレンさんのことをもっと知りたい、ベトナムの子どもたちのために役立てたいと積極的に取り組んでくださっていることが伝わってきました。
なお、2009年11月に「アレン・ネルソン基金」(沖縄と全国)から「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」を通して「ベトナム青葉奨学会」に送金された240万円は、498,144,400ベトナムドンに両替されてホーチミン市の農林銀行に預けられました。
預けてすぐの2010年度分の奨学金は預金から30,000,000ドン(約15万円)を使って支給されました。2011~2013年度分は利子だけを使って奨学金が支給されました。
今回(2014年度)は私たちの日程に合わせて例年より早い時期に支給式を行ったため、2014年1月に入る予定の利子を「ベトナム青葉奨学会」が立て替え、奨学金が支給されました。
ベトナム青葉奨学会、ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のみなさま、本当にありがとうございました!!

ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のブログもご覧ください。
■2014年アレン・ネルソン奨学金
http://aobaokinawa.ti-da.net/e5631766.html
■タムキー市ラジオ・テレビ局
http://aobaokinawa.ti-da.net/e5637015.html
■ドンズー日本語学校のホームページより
http://aobaokinawa.ti-da.net/e5652909.html
ベトナム視察に向けた第2回勉強会
2013年09月12日
ベトナム視察に向けた第2回勉強会を9月7日に行いました。
会場の「喫茶 やさい畑」は、“家みたいに落ち着ける”と好評でした。
テーマは「枯れ葉剤と沖縄」。
日米両政府が枯れ葉剤が沖縄にあったことを認めない中、今年7月、米軍基地返還跡地の沖縄市サッカー場から掘り出されたドラム缶から、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤と同じ245Tという物質が検出されました。
また、ドラム缶周辺の水からは環境基準の280倍ものダイオキシン類が検出されています。
勉強会では、枯れ葉剤が沖縄で保管され、使われていたと証言する元米軍人たちをとりあげたドキュメンタリー「枯れ葉剤を浴びた島~「悪魔の島」~と呼ばれた沖縄」(琉球朝日放送制作、2012年)を鑑賞しました。
沖縄で枯れ葉剤を浴び、健康被害を受けたと訴える元軍人は132人。彼らはいくつもの病気を抱え、子や孫たちが障害を持って生まれている。沖縄で枯れ葉剤はどのように使われたのか、沖縄県民に被害はなかったのか、その実態に迫る。(番組ホームページより)
番組の中で、1970年から71年にかけてアメリカ軍から民間の業者に払い下げられたPCPのドラム缶5000本以上が南風原や具志頭に放置され地下水を汚染し、南部地域4つの村で給水が止められた事件が伝えられると、会場から「そのドラム缶はすぐそこに積まれていました」という発言が飛び出しました。
アメリカ軍の払い下げ物資による土壌や地下水の汚染がぐっと身近に迫ってきたように思いました。
その後、伊波義安さん(沖縄・生物多様性市民ネットワーク共同代表)に、枯れ葉剤の歴史やダイオキシンの性質と毒性、沖縄でこの問題にどう取り組んでいくかについてお話ししていただきました。
参加者20人による質疑応答や自己紹介、感想交流を行いました。
米軍機墜落に伴う放射能汚染と枯れ葉剤問題を調査し始めている大学生、「麻薬の売人のような仕事しかない環境で、まともな仕事を求めて米軍に入隊した友人もいる。米軍という組織と米兵個人を分けて考えてほしい」というアメリカで育った若者、新聞やニュース番組を見ない若者にどうやって社会で起こっていることを伝えればいいのかと悩んでいる先生など、今回も参加者の問題意識や悩みを共有し、励まし合う場となりました。
会場の「喫茶 やさい畑」は、“家みたいに落ち着ける”と好評でした。
テーマは「枯れ葉剤と沖縄」。
日米両政府が枯れ葉剤が沖縄にあったことを認めない中、今年7月、米軍基地返還跡地の沖縄市サッカー場から掘り出されたドラム缶から、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤と同じ245Tという物質が検出されました。
また、ドラム缶周辺の水からは環境基準の280倍ものダイオキシン類が検出されています。
勉強会では、枯れ葉剤が沖縄で保管され、使われていたと証言する元米軍人たちをとりあげたドキュメンタリー「枯れ葉剤を浴びた島~「悪魔の島」~と呼ばれた沖縄」(琉球朝日放送制作、2012年)を鑑賞しました。
沖縄で枯れ葉剤を浴び、健康被害を受けたと訴える元軍人は132人。彼らはいくつもの病気を抱え、子や孫たちが障害を持って生まれている。沖縄で枯れ葉剤はどのように使われたのか、沖縄県民に被害はなかったのか、その実態に迫る。(番組ホームページより)
番組の中で、1970年から71年にかけてアメリカ軍から民間の業者に払い下げられたPCPのドラム缶5000本以上が南風原や具志頭に放置され地下水を汚染し、南部地域4つの村で給水が止められた事件が伝えられると、会場から「そのドラム缶はすぐそこに積まれていました」という発言が飛び出しました。
アメリカ軍の払い下げ物資による土壌や地下水の汚染がぐっと身近に迫ってきたように思いました。
その後、伊波義安さん(沖縄・生物多様性市民ネットワーク共同代表)に、枯れ葉剤の歴史やダイオキシンの性質と毒性、沖縄でこの問題にどう取り組んでいくかについてお話ししていただきました。
参加者20人による質疑応答や自己紹介、感想交流を行いました。
米軍機墜落に伴う放射能汚染と枯れ葉剤問題を調査し始めている大学生、「麻薬の売人のような仕事しかない環境で、まともな仕事を求めて米軍に入隊した友人もいる。米軍という組織と米兵個人を分けて考えてほしい」というアメリカで育った若者、新聞やニュース番組を見ない若者にどうやって社会で起こっていることを伝えればいいのかと悩んでいる先生など、今回も参加者の問題意識や悩みを共有し、励まし合う場となりました。










