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eiko2009

アレン・ネルソンさんの死

2009年04月30日

 アレン・ネルソンさんが死んだ。極度の体調悪化から、もう来沖は二度とないかもしれないという周りの予想を裏切って近年、彼は何度も沖縄に足を運んだ。まるで迫りくる死期の予感を振り切るように。しかし彼の身体は、ベトナムで浴びた枯葉剤の影響と思われる白血病で、確実に蝕まれていた。

 あからさまな差別が横行するアメリカの貧しい家庭に生まれ、暴力で荒むニューヨークのスラムに育ち、母親の反対を押し切り18歳で海兵隊に入隊したネルソンさん。金と名誉と男としての力強さを象徴する海兵隊の制服に、彼は困窮した生活からの脱出と、黒人差別で完全否定された人間としての尊厳回復を夢見たのだった。

 しかし入隊するや否や、彼は殺人兵器として心身ともに改造され、ベトナム人を殺すに値する虫けらとして信じるよう洗脳される。そしてベトナムのジャングルで彼を待っていたものは、殺戮、収奪、破壊、蛮行。暴力の限りを尽くしたその惨劇は、彼に残されていた一滴の人間性をも枯らしてしまいそうなほどだった。

 除隊後、故郷に戻るも軍隊でのおこないを母親にとがめられ「もう私の子じゃない」と拒絶される。ベトナムでの悪夢に毎晩苦しめられ、家を追い出されて、23歳でホームレスとなる。心的外傷後ストレス障害を負った彼は、圧し掛かる罪悪感に潰されながら深い孤独へと落ちていったのだった。かつて彼が輝く軍服に託した夢は、ことごとく裏切られた。人種差別と貧困で既に傷ついていた自己への尊厳は、無残にも砕け散り、跡形もなくなっていた。

 そんな彼にベトナムでの戦争体験を、子ども達へ語ってくれと迫った高校の同級生との再会。彼女が教師を勤める小学校で、彼は運命の質問を突きつけられる。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」。地獄の奈落へと叩き落され、泣き崩れる彼を子ども達は涙で抱擁した。「かわいそうなネルソンさん」。その赦しの言葉と子ども達の温もりに救われた彼は、戦争体験を次世代に伝える使命を感じる。粉々になった人間性と自己の尊厳を、一つひとつ拾い集めながら。

 「何度話しても、辛いもんだよ」。講演会後にビールを飲みながら充血した目を潤ませていたネルソンさん。「でも、この使命があるから生かされているのだと思う」。医者からは止められているはずのタバコを吸っては咳き込みながら、そう語っていた。かつての奴隷船船長が、贖罪の念を込めて作り、その後黒人霊歌として歌い継がれてきた「アメイジング・グレイス」を、ネルソンさんは好んで歌った。清らかなゴスペルの響きではなく、すすり泣くようなハーモニカの声と、一人淋しく歩くようなギターのノート。心の闇を抱えたまま一人過去と対峙し、魂を絞るように吐き出すブルースの音色は、絶望ではなく立ち向かう勇気を感じさせた。

 最後の訪沖となった昨年10月、ネルソンさんは今までの講演会形式ではなく、小さな集まりの会を、学生たちのために持ってくれた。たまたまそこにあったギターを手にとって、私も飛び入りした。咽ぶような彼の声に、共感のリフで応える。ネルソンさんと共演したのは、これが最初で最後だった。この日も、彼の通訳をしたが、ネルソンさんの話には深いビートがあった。その言葉は私の魂を震わせ高揚させる。そして何度も何度も、彼の平和への祈りは、私の心のなかで激しい共鳴を生み続け、私はその響きに自分の祈りを重ねた。

 最近、米兵と結婚して出産した学生に、彼は父親のようにこう話しかけた。「心配になったら、いつでも連絡しなさい。早く除隊するように説得するから」。不安に涙する彼女の手を握りながら。学生一人ひとりに真剣に話しかけ、激しく咳き込みながらも、まるで命を削るかのように、彼のメッセージを伝え続けた。「軍事基地がある限り、沖縄の若者に未来はない」。

 ネルソンさんが初めて来沖したのは、1995年の「少女暴行事件」がきっかけだった。ちょうどその頃、沖縄からのキャラバン隊が、米軍基地被害を訴えてアメリカ各地を行脚していた。しかし軍人の結婚相手が県人会メンバーの多数を占める地域では、キャラバン隊と受け入れ側の間に深い溝があった。米軍を糾弾する沖縄代表。その告発に激しく反論する元沖縄駐在の退役軍人。その狭間で震えながら目を伏せる結婚相手の沖縄女性たち。

 軍事基地の存在は、この島にいくつもの分断線を引いていった。世代が、地域が、家族までもがその政治に巻き込まれて引き裂かれてきた。ネルソンさんは、私たちと米兵という最も険しい分断線に、その身を横たえた。ひとりの人間として。「よき隣人政策」などというマヤカシではなく、真の隣人として。

彼がその命燃え尽きるまで突き通したことは、自らの弱さや過ちに背を向けることなく、差別や抑圧を受けている人々と連帯して、社会を変革しようとする生き方だ。私たちもまた、悔い改め勇気を持って行動しなければならない。ネルソンさんの平和への思いは、夢は、まだ死んでいない。

                  新垣誠(沖縄キリスト教学院大学准教授)

*2009年4月27日付沖縄タイムス掲載。



Posted by eiko2009 at 01:42│Comments(0)
 
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