活動報告とお礼
*7月2日に沖縄市のくすぬち平和文化館にて「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行いました。後ほど、その様子を報告しますが、当日配布した活動報告を掲載します。
元海兵隊員のアレン・ネルソンさんは、1995年の少女暴行事件に大きな衝撃を受け来沖されました。自らの体験に基づいて、戦争の真実を話し続け、13年間で沖縄・日本各地で2000回を超える講演活動を行ってこられました。
そのアレン・ネルソンさんが、今年1月、「多発性骨髄腫」というガンに侵されていることが判明しました。血液と骨髄の中でガン細胞が増殖する深刻な病気です。ベトナムで米軍がジャングルを枯らすために散布した枯葉剤との関連が疑われています。アメリカには国民健康保険制度がなく、ガンの治療には莫大な費用がかかることが予想されました。
そこで、私たちは「アレン・ネルソン基金沖縄」は2009年2月6日に結成し、沖縄からアレンさんの治療と活動を支えるため、募金活動を始めました。アレンさんの病状と基金の活動を新聞・テレビなどのマスメディアで紹介していただくとともに、インターネットのブログ、平和集会などでも呼びかけを行いました。
それにより、多数の方々から温かいご支援が寄せられ、募金総額は3月26日までに総額1,358,761円と25セントにのぼりました。
そのうち70万円(正確にはドルに交換のため699,660円)は3月8日に、宜野座映子が訪米し、アレンさんに直接手渡すことができました。大阪や東京など各地の募金と合わせると、この時点でアレンさんに届けられた募金は700万円を超えました。13年間にわたり、身を削って戦争の真実を伝えてくれたアレンさんに、日本中から送られた感謝のしるしでした。
募金やメッセージを受け取ったアレンさんは驚き、涙を流しました。こうして高額な医療費への不安を取りのぞき、アレンさんに安心して治療を受けてもらうことができたのです。
しかし、活動を続ける私たちのもとに、悲しい報せが届きました。3月25日水曜日の午後10時19分にアレンさんが亡くなったのです。激しい痛みに苦しめられた闘病生活でしたが、最後は安らかで、妻のアネッタさんが手を握る中、息を引き取ったとのことでした。
翌日の26日に訃報を受けた「アレン・ネルソン基金沖縄」事務局は募金活動を停止し、翌3月27日に銀行口座を閉鎖しました。そのため、募金をご準備くださっていた方々にはご迷惑をおかけしました。
3月31日にニューヨークで行われた葬儀に参列した、平塚淳次郎氏(全国世話人会代表)が、妻のアネッタさんから「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」、残金については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」というメッセージを受け取りました。
そこで、「アレン・ネルソン基金沖縄」に残された658,761円と25セントについては、事務局で議論し、ベトナム戦争で枯葉剤がまかれた地域の一つであるカンザー郡の子どもたちへの奨学金「アレン・ネルソン奨学金」として活用することになりました。
それがアレンさんの遺志に沿い、募金をお寄せくださった方々にもご納得いただけるのではないかと考えています。本日は、ベトナムにある青葉奨学会を支援している青葉奨学会沖縄委員会の代表を招き、寄付金を贈呈します。
これをもちまして、「アレン・ネルソン基金沖縄」は解散いたします。ただし、「アレン・ネルソン奨学金」についての続報、その他アレン・ネルソンさんに関する取り組みや情報があれば、このブログにて紹介していきます。
最後になりましたが、アレンさんの回復を祈り、「アレン・ネルソン基金沖縄」にご支援をお寄せくださった皆様に、深くお礼申し上げます。
2009年7月2日
アレン・ネルソン基金沖縄 代表 宜野座映子