アレン・ネルソンさんを支えて下さい!
2009年02月09日
アレン・ネルソンさんは貧困から逃れるため1965年に米軍の海兵隊に入隊し、沖縄(キャンプ・ハンセン)での訓練などを経て、1966年から1967年の13ヵ月間、ベトナムの戦場に送られました。訓練で「ベトナム人は人間ではない」とたたきこまれ、彼はベトナムの村を焼き払い、女性や子どもを含むベトナム人を攻撃する作戦に参加していました。そのような中で、偶然ベトナム人女性の出産に立ち会った彼は、初めてベトナム人が同じ人間であることを実感したのです。
1995年の少女暴行事件に大きな衝撃を受けたアレン・ネルソンさんは、再び沖縄を訪れることを決意します。「ベトナム戦争が終わって何十年も経つにも関わらず、なぜいまだに沖縄に米軍基地があるのか」。
疑問を持った彼は、米軍基地を沖縄に置き続けることは沖縄の人々にとっても、アジアの人々にとっても、米兵にとっても苦しみの原因であることを訴えました。自らの体験を基に、海兵隊員としての訓練、戦場での極度の緊張、心の傷が後遺症となり、長年にわたって元兵士を苦しめていることを正直に語ったのです。それは私たちが初めて聞く加害者自身の言葉でした。彼が身を削って語った言葉は私たちの魂を揺さぶりました。
基地の周辺で育った高校生は「フェンスの中にはいつもきれいな芝生が生えている。あの基地の中で、米兵が毎日暴力的な人間になる訓練を受けていることを初めて知った。」と感想を話しています。13年の間に彼が沖縄と日本で行った講演は2000回を越えています。
私たちは、遠い沖縄からアレン・ネルソンさんの回復を祈り、皆さまに募金へのご協力を呼びかけます。さらに、募金をお願いするだけでなく、アレン・ネルソンさんが「人生の最期まで話すことをやめない」と訴えてきた戦争の真実を伝える活動に取り組むことを改めて決意しました。
平和、そして生きるための彼の闘いは続きます。どうぞアレン・ネルソンさんの治療と活動を支えてください。皆さまのご協力をお願いいたします。
2009年2月6日
「アレン・ネルソン基金沖縄」
代表 宜野座映子
1995年の少女暴行事件に大きな衝撃を受けたアレン・ネルソンさんは、再び沖縄を訪れることを決意します。「ベトナム戦争が終わって何十年も経つにも関わらず、なぜいまだに沖縄に米軍基地があるのか」。
疑問を持った彼は、米軍基地を沖縄に置き続けることは沖縄の人々にとっても、アジアの人々にとっても、米兵にとっても苦しみの原因であることを訴えました。自らの体験を基に、海兵隊員としての訓練、戦場での極度の緊張、心の傷が後遺症となり、長年にわたって元兵士を苦しめていることを正直に語ったのです。それは私たちが初めて聞く加害者自身の言葉でした。彼が身を削って語った言葉は私たちの魂を揺さぶりました。
基地の周辺で育った高校生は「フェンスの中にはいつもきれいな芝生が生えている。あの基地の中で、米兵が毎日暴力的な人間になる訓練を受けていることを初めて知った。」と感想を話しています。13年の間に彼が沖縄と日本で行った講演は2000回を越えています。
私たちは、遠い沖縄からアレン・ネルソンさんの回復を祈り、皆さまに募金へのご協力を呼びかけます。さらに、募金をお願いするだけでなく、アレン・ネルソンさんが「人生の最期まで話すことをやめない」と訴えてきた戦争の真実を伝える活動に取り組むことを改めて決意しました。
平和、そして生きるための彼の闘いは続きます。どうぞアレン・ネルソンさんの治療と活動を支えてください。皆さまのご協力をお願いいたします。
2009年2月6日
「アレン・ネルソン基金沖縄」
代表 宜野座映子
Posted by eiko2009 at 13:01│Comments(0)
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