アレン・ネルソン平和集会&ご縁玉プロジェクトの報告
2011年03月11日
ご縁の皆様へ
2月22日加賀光闡坊。数日前からの暖かい陽射しに、列車の予定を思い切って車に切り替えました。
午前七時半出発、午後十時半帰宅。「後期高齢暴走族」に心配が絶えぬ妻と共に同乗してくれた他の二人の女性は「お元気な」運転振りに「感心?」してくれました。
さて当日参列者八十余名。
午後一時。十数名の僧侶による勤行が荘重に行われました。
遠路参加の中川氏構想のドキュメンタリの5分弱のPR版が、簡潔な趣旨紹介に続いて上映されました。本番の出来上がりが待たれます。
第二部は先ず映画。乳癌で亡くなる直前まで子供たちに命の重さを語り続けた大分県の中学校教師山田泉さん。
一方ベトナム戦争孤児として生まれフランスの養父母に育てられた世界的チェリスト、エリク・マリア・クテユリエ氏との交流を描く。
そしてそのエリクさんのチェロ演奏。アレンさんの懐かしいアメイジンググレイスが流れ出し、おやっと思っていると深いチェロの伴奏がそれを受け、切れ目なしにバッハの無伴奏ソナタに流れ込むという素晴らしい演出にも感動。
山田さんの「いのちの授業」にアレン講演を通訳した時の思い出。
彼がバッハのチェロ曲をこよなく愛していたことを、佐野さんの指名によって皆さんに紹介。
夕食と交流。アレンさんとの直接の出会いはないが、佐野師への敬慕の念で馳せ参じている若い僧が多い事を知りました。またエリクさん、映画監督江口氏の謙虚な人柄に触れた事も含めて満たされた遠征とはなりました。
<佐野師の平和プロジェクト構想>を合間に聞きました。
1 当面、上記ドキュメンンタリー完成支援に集中。中川さんが第一に「日本国憲法第九条の世界史的意義」、第二に「本当の戦争のすがた」、第三に「今一人ひとりの生きかた」に問いかけたアレンさんのメッセージが活用されることを期待。
2 アレンさんのお骨を預って、生前の彼がここを訪れるたびに一人静かに瞑想する場であった仏像の下に安置してきた。個人的にはこれが最善だと。ところが昨年アレン令妹のマーシェルさんが来訪の折、「兄の魂は何処を彷徨っているのだろうか」と涙ながらにアフリカ系の思いを語られた、その肉親の気持ちに応えなければならないという思いから、来年の命日までには墓地建立、埋葬を決意。
3 アレン遺品として預かって欲しいと申し出のあるものをお堂の一角にまとめたい。新たな建造物というのは理想として。
平塚淳次郎
2月22日加賀光闡坊。数日前からの暖かい陽射しに、列車の予定を思い切って車に切り替えました。
午前七時半出発、午後十時半帰宅。「後期高齢暴走族」に心配が絶えぬ妻と共に同乗してくれた他の二人の女性は「お元気な」運転振りに「感心?」してくれました。
さて当日参列者八十余名。
午後一時。十数名の僧侶による勤行が荘重に行われました。
遠路参加の中川氏構想のドキュメンタリの5分弱のPR版が、簡潔な趣旨紹介に続いて上映されました。本番の出来上がりが待たれます。
第二部は先ず映画。乳癌で亡くなる直前まで子供たちに命の重さを語り続けた大分県の中学校教師山田泉さん。
一方ベトナム戦争孤児として生まれフランスの養父母に育てられた世界的チェリスト、エリク・マリア・クテユリエ氏との交流を描く。
そしてそのエリクさんのチェロ演奏。アレンさんの懐かしいアメイジンググレイスが流れ出し、おやっと思っていると深いチェロの伴奏がそれを受け、切れ目なしにバッハの無伴奏ソナタに流れ込むという素晴らしい演出にも感動。
山田さんの「いのちの授業」にアレン講演を通訳した時の思い出。
彼がバッハのチェロ曲をこよなく愛していたことを、佐野さんの指名によって皆さんに紹介。
夕食と交流。アレンさんとの直接の出会いはないが、佐野師への敬慕の念で馳せ参じている若い僧が多い事を知りました。またエリクさん、映画監督江口氏の謙虚な人柄に触れた事も含めて満たされた遠征とはなりました。
<佐野師の平和プロジェクト構想>を合間に聞きました。
1 当面、上記ドキュメンンタリー完成支援に集中。中川さんが第一に「日本国憲法第九条の世界史的意義」、第二に「本当の戦争のすがた」、第三に「今一人ひとりの生きかた」に問いかけたアレンさんのメッセージが活用されることを期待。
2 アレンさんのお骨を預って、生前の彼がここを訪れるたびに一人静かに瞑想する場であった仏像の下に安置してきた。個人的にはこれが最善だと。ところが昨年アレン令妹のマーシェルさんが来訪の折、「兄の魂は何処を彷徨っているのだろうか」と涙ながらにアフリカ系の思いを語られた、その肉親の気持ちに応えなければならないという思いから、来年の命日までには墓地建立、埋葬を決意。
3 アレン遺品として預かって欲しいと申し出のあるものをお堂の一角にまとめたい。新たな建造物というのは理想として。
平塚淳次郎
2011年アレン・ネルソン奨学金
2011年02月22日
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局の村田光司さんが、2011年のアレン・ネルソン奨学金の支給式について報告を送ってくださいました。
第2回支給式
アレン・ネルソンさんの友人・支援者の皆様 お世話になっております。
ベトナムから、2011年のアレン・ネルソン奨学金の支給式の報告が届きましたので、様子をお知らせします。
昨年の第1回支給式には私も参加しましたが、今回は現地に行くことはできず、ドンズー日本語学校ダナン校の皆さんが参加して子どもたちにお金を配ってくれました。
今年の支給式は、1月25日に昨年と同じタムキー市公会堂で行われました。今年は、タムキー市の各地に住む小学生120名に、それぞれ50万ドン(約2200円)が渡されました。
ホーチミン市の銀行には、青葉奨学会の管理のもと、「アレン・ネルソン基金」としてお金が預けられていて、その利子が奨学金として活用されています。
支給式では、ドンズー・ダナン校のタン先生が、アレンさんのことや奨学金が発足したいきさつについて、話をしてくれました。
タン先生やドンズー・ダナン校の皆さんは、学校の運営で忙しいなか、多くの時間を割いて奨学金の準備や配布をしてくれました(ダナンからタムキーまでは、車で片道2時間余りかかります)。
昨年作ったアレンさんの本のベトナム語版を、今年も奨学生に配ってもらうつもりでいましたが、連絡の行き違いで支給式までに送ることができず、今年は配布できていません。
いまからでも、もし可能であれば本を配ってもらうつもりでいます。
沖縄からベトナムに持っていったり送ったりするのは費用もかかりますので、来年以降はダナンで印刷してもらえるかどうか、相談してみるつもりです。
奨学生の選考は、タムキー市とクアンナム省の学習奨励会が行っています。
学習奨励会には、就学支援を必要とする生徒たちの名簿があって、その中で優先度の高いほうから120名の小学生に支給することになった、ということです。
基本的に、昨年とは別の子たちが選ばれているそうです。
昨年支給式に参加したさい、私たちは会場で1人の子どもにお願いして、家を訪ねさせてもらいました。
タムキー市近郊のつつましい農家で、大きな台風被害の後ということもあって、生活はかなり厳しそうでした。
学習奨励会の方々は、奨学生の選考を良心的にやって下さっている、という印象を持ちました。
今年も、基本的に同じような家庭状況の子どもたちが選ばれていると思います。
来年以降も、利子を活用して奨学金の支給が続けられる予定です。
私の印象では、お金は有効に活用されていると感じていますが、現在のやり方では、相手の顔が見えにくいという問題があると思います。
アレン・ネルソンさんの名前をつけた奨学金ですので、アレンさんの友人や支援者の方々と、奨学金の対象となる子どもたちや地域の方々が、何らかの継続的なつながりを持てるような方法を工夫できないか、と思っています。
クアンナム省の山間部のいくつかの村に対象を絞って、継続的に支援をするような形ができないか、または、施設の子どもたちへの奨学金支援はどうなのか、などを考えています。
いずれにしても、ベトナム側の意向や事情がとても大切なので、私たちが勝手に決めても意味がありません。
もし可能であれば、近いうちに一度ダナンとクアンナムを訪ねて、これからの進め方について話し合ってみたいと思っています。
私たちの力に限りがあり、十分な取り組みができていないこと(今年、本を配布できていないことなど)を申し訳なく思います。
ご意見などありましたら、お聞かせいただけると幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局
村田光司
muraquang@ybb.ne.jp
ブログhttp://aobaokinawa.ti-da.net/
第2回支給式
アレン・ネルソンさんの友人・支援者の皆様 お世話になっております。
ベトナムから、2011年のアレン・ネルソン奨学金の支給式の報告が届きましたので、様子をお知らせします。
昨年の第1回支給式には私も参加しましたが、今回は現地に行くことはできず、ドンズー日本語学校ダナン校の皆さんが参加して子どもたちにお金を配ってくれました。
今年の支給式は、1月25日に昨年と同じタムキー市公会堂で行われました。今年は、タムキー市の各地に住む小学生120名に、それぞれ50万ドン(約2200円)が渡されました。
ホーチミン市の銀行には、青葉奨学会の管理のもと、「アレン・ネルソン基金」としてお金が預けられていて、その利子が奨学金として活用されています。
支給式では、ドンズー・ダナン校のタン先生が、アレンさんのことや奨学金が発足したいきさつについて、話をしてくれました。
タン先生やドンズー・ダナン校の皆さんは、学校の運営で忙しいなか、多くの時間を割いて奨学金の準備や配布をしてくれました(ダナンからタムキーまでは、車で片道2時間余りかかります)。
昨年作ったアレンさんの本のベトナム語版を、今年も奨学生に配ってもらうつもりでいましたが、連絡の行き違いで支給式までに送ることができず、今年は配布できていません。
いまからでも、もし可能であれば本を配ってもらうつもりでいます。
沖縄からベトナムに持っていったり送ったりするのは費用もかかりますので、来年以降はダナンで印刷してもらえるかどうか、相談してみるつもりです。
奨学生の選考は、タムキー市とクアンナム省の学習奨励会が行っています。
学習奨励会には、就学支援を必要とする生徒たちの名簿があって、その中で優先度の高いほうから120名の小学生に支給することになった、ということです。
基本的に、昨年とは別の子たちが選ばれているそうです。
昨年支給式に参加したさい、私たちは会場で1人の子どもにお願いして、家を訪ねさせてもらいました。
タムキー市近郊のつつましい農家で、大きな台風被害の後ということもあって、生活はかなり厳しそうでした。
学習奨励会の方々は、奨学生の選考を良心的にやって下さっている、という印象を持ちました。
今年も、基本的に同じような家庭状況の子どもたちが選ばれていると思います。
来年以降も、利子を活用して奨学金の支給が続けられる予定です。
私の印象では、お金は有効に活用されていると感じていますが、現在のやり方では、相手の顔が見えにくいという問題があると思います。
アレン・ネルソンさんの名前をつけた奨学金ですので、アレンさんの友人や支援者の方々と、奨学金の対象となる子どもたちや地域の方々が、何らかの継続的なつながりを持てるような方法を工夫できないか、と思っています。
クアンナム省の山間部のいくつかの村に対象を絞って、継続的に支援をするような形ができないか、または、施設の子どもたちへの奨学金支援はどうなのか、などを考えています。
いずれにしても、ベトナム側の意向や事情がとても大切なので、私たちが勝手に決めても意味がありません。
もし可能であれば、近いうちに一度ダナンとクアンナムを訪ねて、これからの進め方について話し合ってみたいと思っています。
私たちの力に限りがあり、十分な取り組みができていないこと(今年、本を配布できていないことなど)を申し訳なく思います。
ご意見などありましたら、お聞かせいただけると幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局
村田光司
muraquang@ybb.ne.jp
ブログhttp://aobaokinawa.ti-da.net/
アレン・ネルソン平和集会&ご縁玉プロジェクトのご案内
2011年01月14日
明けましておめでとうございます。まもなくアレンさんの三回忌です。
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東の大畑 豊さんから、「アレン・ネルソン平和集会&ご縁玉プロジェクト」のご案内をいただきました。
「アレン・ネルソン平和集会&ご縁玉プロジェクトのご案内」
【日時】 2011年2月22日(火)13時から
【会場】 光闡坊(こうせんぼう) 本堂
石川県加賀市山田町 カ53
TEL:0761-74-0508 佐野
JR北陸線 加賀温泉駅下車 タクシーで10分
北陸自動車道(南から)加賀IC下車20分
(北から)片山津IC下車 20分
小松空港からバス⇒10分 JR小松駅⇒15分 加賀温泉駅
【会費】 1000円(当日受付にてお納めください)
【日程】
第Ⅰ部 アレン・ネルソン(釈 阿蓮) 三回忌法要
13:00 (1) 法要
(2) アレン平和資料館活動立ち上げと墓地建立の発表
第Ⅱ部 ご縁玉プロジェクト
14:15 (1) 映画「ご縁玉」(江口方康監督)上映
(2) チェロコンサート
第Ⅲ部 交流会
18:00 別途500円の参加費をお願いします
参加される方は、交流会の参加の有無を含めて郵便・電話・FAXで、 佐野までご連絡ください。(2月15日締切)
寺に宿泊される方も併せてご連絡ください。(貸しふとん代実費)
:::::::::::::::::::::::::::::::
第Ⅰ部 アレン・ネルソン(釈 阿蓮) 三回忌法要
(1) 法要厳修
(2) アレン平和資料館活動立ち上げと墓地建立の発表と募財のお願い
<<主旨>>
各地にあるアレンさんの言行録(テープ・DVD等)の収集、あるいは
リスト作りをし、今後の平和活動に活用できるようにする。または募財
が集まり次第資料館を建て、収納する。遺品なども展示公開したい。
<<活動>>
①主旨の第一歩として、アレンさんのドキュメンタリー(DVD)制作
が進められている。(予告編ビデオの上映と監督の話―予定)
②墓地の建立は3周年までの完成を目指す。
③アレン平和資料館活動の経費(墓地建立、建造物、平和活動)
の募財をお願いする。(会計)
第Ⅱ部 ご縁玉プロジェクト
アレンさんと関わりがあった山田泉さんと、ベトナムダナン生まれの
フランス人、エリック・マリアさんの出会いのドキュメンタリー映画
「ご縁玉」上映とエリック・マリアさんのチェロコンサート。
主旨
「平和はアメリカが作るものではなく、国連が作るものでもない。この
場から、となりの人から」と語っていたアレンさん。人が人との出遭い
の縁によって開かれてゆくことをテーマにしたドキュメント「ご縁玉」を
3回忌に集う人々と共に観たい。
またアレンさんを授業に呼び、命の大切さを説き続けて逝った保健
室の先生山田泉さんを紹介したい。
そして、アレンさんが武器と共に上陸し、二度目は38年後に涙の
謝罪をしたダナン。そのダナンでベトナム戦争孤児として生まれ、
フランスの養父母のもとで育った世界的チェリスト、エリック・マリア
さんに、それらの思いを込めてチェロの演奏を聞かせてほしい。
山田泉さんプロフィール
1959年大分県豊後高田生まれ。1979年から養護教諭の仕事に就き、県内の7校の小・中学校に勤めた。2000年に乳がんを発症し休職。左乳房の温存手術後、放射線治療、ホルモン療法を受けた。2002年に復職し、自らの体験をもとに「いのちの授業」に取り組んでいたが、2005年に再発。再び手術を受け、休職。2006年に復職したが体力の限界を感じ、2007年退職。2008年逝去。著書に『いのちの授業をもう一度』『いのちの恩返し』(高文研)等。
エリック‐マリア・クテュリエさんプロフィール
パリ国立高等音楽院に首席で入学。23歳でパリ管弦楽団に入団。2002年プーレーズのアンサンブル・アンテルコンタンポランのソリストになる。児童図書館などにおける音楽を知らない子ども向けの教育プログラムなどに定期的かつ意欲的に携わっている。
第Ⅲ部 交流会
あらたな出遭いが生まれることを願って、交流会を行います。
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東の大畑 豊さんから、「アレン・ネルソン平和集会&ご縁玉プロジェクト」のご案内をいただきました。
「アレン・ネルソン平和集会&ご縁玉プロジェクトのご案内」
【日時】 2011年2月22日(火)13時から
【会場】 光闡坊(こうせんぼう) 本堂
石川県加賀市山田町 カ53
TEL:0761-74-0508 佐野
JR北陸線 加賀温泉駅下車 タクシーで10分
北陸自動車道(南から)加賀IC下車20分
(北から)片山津IC下車 20分
小松空港からバス⇒10分 JR小松駅⇒15分 加賀温泉駅
【会費】 1000円(当日受付にてお納めください)
【日程】
第Ⅰ部 アレン・ネルソン(釈 阿蓮) 三回忌法要
13:00 (1) 法要
(2) アレン平和資料館活動立ち上げと墓地建立の発表
第Ⅱ部 ご縁玉プロジェクト
14:15 (1) 映画「ご縁玉」(江口方康監督)上映
(2) チェロコンサート
第Ⅲ部 交流会
18:00 別途500円の参加費をお願いします
参加される方は、交流会の参加の有無を含めて郵便・電話・FAXで、 佐野までご連絡ください。(2月15日締切)
寺に宿泊される方も併せてご連絡ください。(貸しふとん代実費)
:::::::::::::::::::::::::::::::
第Ⅰ部 アレン・ネルソン(釈 阿蓮) 三回忌法要
(1) 法要厳修
(2) アレン平和資料館活動立ち上げと墓地建立の発表と募財のお願い
<<主旨>>
各地にあるアレンさんの言行録(テープ・DVD等)の収集、あるいは
リスト作りをし、今後の平和活動に活用できるようにする。または募財
が集まり次第資料館を建て、収納する。遺品なども展示公開したい。
<<活動>>
①主旨の第一歩として、アレンさんのドキュメンタリー(DVD)制作
が進められている。(予告編ビデオの上映と監督の話―予定)
②墓地の建立は3周年までの完成を目指す。
③アレン平和資料館活動の経費(墓地建立、建造物、平和活動)
の募財をお願いする。(会計)
第Ⅱ部 ご縁玉プロジェクト
アレンさんと関わりがあった山田泉さんと、ベトナムダナン生まれの
フランス人、エリック・マリアさんの出会いのドキュメンタリー映画
「ご縁玉」上映とエリック・マリアさんのチェロコンサート。
主旨
「平和はアメリカが作るものではなく、国連が作るものでもない。この
場から、となりの人から」と語っていたアレンさん。人が人との出遭い
の縁によって開かれてゆくことをテーマにしたドキュメント「ご縁玉」を
3回忌に集う人々と共に観たい。
またアレンさんを授業に呼び、命の大切さを説き続けて逝った保健
室の先生山田泉さんを紹介したい。
そして、アレンさんが武器と共に上陸し、二度目は38年後に涙の
謝罪をしたダナン。そのダナンでベトナム戦争孤児として生まれ、
フランスの養父母のもとで育った世界的チェリスト、エリック・マリア
さんに、それらの思いを込めてチェロの演奏を聞かせてほしい。
山田泉さんプロフィール
1959年大分県豊後高田生まれ。1979年から養護教諭の仕事に就き、県内の7校の小・中学校に勤めた。2000年に乳がんを発症し休職。左乳房の温存手術後、放射線治療、ホルモン療法を受けた。2002年に復職し、自らの体験をもとに「いのちの授業」に取り組んでいたが、2005年に再発。再び手術を受け、休職。2006年に復職したが体力の限界を感じ、2007年退職。2008年逝去。著書に『いのちの授業をもう一度』『いのちの恩返し』(高文研)等。
エリック‐マリア・クテュリエさんプロフィール
パリ国立高等音楽院に首席で入学。23歳でパリ管弦楽団に入団。2002年プーレーズのアンサンブル・アンテルコンタンポランのソリストになる。児童図書館などにおける音楽を知らない子ども向けの教育プログラムなどに定期的かつ意欲的に携わっている。
第Ⅲ部 交流会
あらたな出遭いが生まれることを願って、交流会を行います。
奨学金発足報告会
2010年02月28日
昨夜、那覇市内でアレン・ネルソン奨学金発足報告会が30人の参加で行われました。
アレンさんのインタビュー映像を見た後、宜野座映子(アレン・ネルソン基金沖縄の会元代表)の司会で、追悼のための黙祷と祈りのことば、アレン・ネルソン奨学金設立の経緯の報告(高里鈴代・ベトナム青葉奨学会沖縄委員会代表)、支給式の報告(村田光司・同事務局長)、アレンさんの妻アネッタさんのメッセージ紹介、アレンさんが好きだった歌の演奏などを行いました。
報告会について、沖縄タイムスが記事にしてくださいました。
ベトナムの子に奨学金 故ネルソンさんの魂継ぐ
闘病支えた支援者ら設立
ベトナム帰還兵として反戦平和を訴え、昨年3月に「多発性骨髄腫」で亡くなった米国人アレン・ネルソンさん=享年61歳=の遺志を受け継ぎ、ベトナムの子どもたちを支援しようと、このほど「アレン・ネルソン奨学金」が設立された。
27日、奨学金設立に取り組んだ「アレン・ネルソン基金沖縄の会(宜野座映子代表)」と「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会(高里鈴代代表)」が、那覇市ぶんかテンブス館で報告会を開き、設立の経緯を説明した。
「アレン・ネルソン基金沖縄の会」は昨年2月、病床のアレンさんへの寄付金を集めてきた東京の「アレン・ネルソン基金」に次いで立ち上がった。アレンさんの死後、遺族からの希望もあり、残った寄付金約240万円を奨学金として活用することを決めた。「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」が窓口となり、農村部や山間部に住む子どもたちを支援する。
宜野座代表はアレンさんの妻、アネッタさんからの手紙を紹介し「『ベトナムの子どもたちの将来のためになれば、アレンが亡くなった後も魂は続く』とあった。これからも彼の思いを伝えたい」と強調した。
沖縄タイムス 2010年2月28日
アレンさんのインタビュー映像を見た後、宜野座映子(アレン・ネルソン基金沖縄の会元代表)の司会で、追悼のための黙祷と祈りのことば、アレン・ネルソン奨学金設立の経緯の報告(高里鈴代・ベトナム青葉奨学会沖縄委員会代表)、支給式の報告(村田光司・同事務局長)、アレンさんの妻アネッタさんのメッセージ紹介、アレンさんが好きだった歌の演奏などを行いました。
報告会について、沖縄タイムスが記事にしてくださいました。
ベトナムの子に奨学金 故ネルソンさんの魂継ぐ
闘病支えた支援者ら設立
ベトナム帰還兵として反戦平和を訴え、昨年3月に「多発性骨髄腫」で亡くなった米国人アレン・ネルソンさん=享年61歳=の遺志を受け継ぎ、ベトナムの子どもたちを支援しようと、このほど「アレン・ネルソン奨学金」が設立された。
27日、奨学金設立に取り組んだ「アレン・ネルソン基金沖縄の会(宜野座映子代表)」と「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会(高里鈴代代表)」が、那覇市ぶんかテンブス館で報告会を開き、設立の経緯を説明した。
「アレン・ネルソン基金沖縄の会」は昨年2月、病床のアレンさんへの寄付金を集めてきた東京の「アレン・ネルソン基金」に次いで立ち上がった。アレンさんの死後、遺族からの希望もあり、残った寄付金約240万円を奨学金として活用することを決めた。「ベトナム青葉奨学会沖縄委員会」が窓口となり、農村部や山間部に住む子どもたちを支援する。
宜野座代表はアレンさんの妻、アネッタさんからの手紙を紹介し「『ベトナムの子どもたちの将来のためになれば、アレンが亡くなった後も魂は続く』とあった。これからも彼の思いを伝えたい」と強調した。
沖縄タイムス 2010年2月28日
琉球新報社会面の掲載記事
2010年02月27日
2010年2月21日付で、琉球新報が記事にしてくれました。以下、転載。
ベトナム児童に奨学金 故ネルソンさんの遺志継ぐ
2009年3月に多発性骨髄腫で亡くなった元米海兵隊員で平和活動家の故アレン・ネルソンさん=享年61=の遺志を継ぐ「アレン・ネルソン奨学金」がこのほど県内で設置された。ネルソンさんの闘病を支援するため募った寄付金の残金で、ベトナムの子どもの学費の一部を支援するもので、関係者が5日にベトナムを訪ね、奨学金を贈った。
アレン・ネルソン基金沖縄の会代表の宜野座映子さん(62)は「ネルソンさんは生前、世界平和のためには教育が大切だと語っていた。彼が追い続けた『戦争のない世界』を実現するため奨学金を続けたい」と思いを語った。
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会(高里鈴代代表)の村田光司さん(46)が、ネルソンさんがベトナム戦時に駐留したクアンナム省タムキーを訪ね、小学生100人に各30万ドン(約1500円)とネルソンさんの講演を翻訳した冊子200冊を手渡した。村田さんによると30万ドンは現地農家の収入1ヶ月分に相当するという。
ネルソンさんの闘病を支援したアレン・ネルソン基金の残金240万円について、遺族が「彼の遺志を生かしてほしい」と宜野座さんに持ち掛け、奨学金を立ち上げることになった。
ネルソンさんは18歳で入隊後、キャンプ・ハンセンで訓練を受け、ベトナム戦の最前線に送られた。退役後、ベトナムでの殺人経験でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩み、カウンセリングを受け青少年のための活動を始めた。1995年の米兵少女暴行事件をきっかけに、米兵をアメリカ本国へ連れ戻す運動を開始。全国で2000回以上講演し、反戦を訴え続けた。
「貧しく教育を十分に受けられなかった彼は『きちんと教育を受け、人を殺す意味を知っていたら軍に入らなかっただろう」と語っていた」。宜野座さんは「支援を受けたベトナムの子が、彼の平和への思いを理解することで平和な世界に近づくはずだ」と期待する。
宜野座さんらは27日午後6時から8時、那覇市文化テンブス館3階で奨学金立ち上げの経緯を報告し、ネルソンさんの証言を収めたDVDを上映する。参加費は300円(資料代込み)。問い合わせは村田さん☎080(2719)4720。
(荒井良平)
この記事にはベトナム・タムキー市で奨学金を受け取る子供たちやアレン・ネルソンさんの写真がカラーで掲載されました。
アレン・ネルソンさんの治療費にと募金を寄せてくださった方々に、この奨学金について知っていただく機会となると思います。
アレン・ネルソン奨学金の動きは、ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のブログhttp://aobaokinawa.ti-da.net/でご覧ください。
ベトナム児童に奨学金 故ネルソンさんの遺志継ぐ
2009年3月に多発性骨髄腫で亡くなった元米海兵隊員で平和活動家の故アレン・ネルソンさん=享年61=の遺志を継ぐ「アレン・ネルソン奨学金」がこのほど県内で設置された。ネルソンさんの闘病を支援するため募った寄付金の残金で、ベトナムの子どもの学費の一部を支援するもので、関係者が5日にベトナムを訪ね、奨学金を贈った。
アレン・ネルソン基金沖縄の会代表の宜野座映子さん(62)は「ネルソンさんは生前、世界平和のためには教育が大切だと語っていた。彼が追い続けた『戦争のない世界』を実現するため奨学金を続けたい」と思いを語った。
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会(高里鈴代代表)の村田光司さん(46)が、ネルソンさんがベトナム戦時に駐留したクアンナム省タムキーを訪ね、小学生100人に各30万ドン(約1500円)とネルソンさんの講演を翻訳した冊子200冊を手渡した。村田さんによると30万ドンは現地農家の収入1ヶ月分に相当するという。
ネルソンさんの闘病を支援したアレン・ネルソン基金の残金240万円について、遺族が「彼の遺志を生かしてほしい」と宜野座さんに持ち掛け、奨学金を立ち上げることになった。
ネルソンさんは18歳で入隊後、キャンプ・ハンセンで訓練を受け、ベトナム戦の最前線に送られた。退役後、ベトナムでの殺人経験でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩み、カウンセリングを受け青少年のための活動を始めた。1995年の米兵少女暴行事件をきっかけに、米兵をアメリカ本国へ連れ戻す運動を開始。全国で2000回以上講演し、反戦を訴え続けた。
「貧しく教育を十分に受けられなかった彼は『きちんと教育を受け、人を殺す意味を知っていたら軍に入らなかっただろう」と語っていた」。宜野座さんは「支援を受けたベトナムの子が、彼の平和への思いを理解することで平和な世界に近づくはずだ」と期待する。
宜野座さんらは27日午後6時から8時、那覇市文化テンブス館3階で奨学金立ち上げの経緯を報告し、ネルソンさんの証言を収めたDVDを上映する。参加費は300円(資料代込み)。問い合わせは村田さん☎080(2719)4720。
(荒井良平)
この記事にはベトナム・タムキー市で奨学金を受け取る子供たちやアレン・ネルソンさんの写真がカラーで掲載されました。
アレン・ネルソンさんの治療費にと募金を寄せてくださった方々に、この奨学金について知っていただく機会となると思います。
アレン・ネルソン奨学金の動きは、ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のブログhttp://aobaokinawa.ti-da.net/でご覧ください。
沖縄タイムスに掲載された投稿
2010年02月27日
ベトナム青葉奨学会の村田光司さんが、沖縄タイムス2月20日付け寄稿欄に書かれた文章です。
去った2月5日、ベトナム中部のクアンナム省タムキー市の公会堂で、「アレン・ネルソン奨学金」の支給式が行われました。
米海兵隊員としてベトナム戦争に参加したアレン・ネルソンさんは、1996年以降何度も沖縄を訪ね、戦争の真実について私たちに語りかけてくれました。そのアレンさんが「多発性骨髄腫」という深刻な病気に侵されていることがわかったのは、昨年の1月。アレンさんの闘病を励ますため、友人たちが治療費のカンパを呼びかけたところ、短期間のうちに沖縄で130万円、全国では1000万円を超えるお金が集まりました。しかし、3月25日、アレンさんは亡くなりました。集まったお金はアレンさんの入院費や葬儀の費用に充てましたが、かなりの金額が残り、遺族の方から「アレンの遺志を生かすために使ってほしい」との希望が伝えられました。
昨年6月、私たちベトナム青葉奨学会沖縄委員会は、アレン・ネルソン基金の代表の方から「基金の残りをベトナムの人たちのために役立ててもらえないか」との打診を受けました。話し合った結果、基金をベトナムの銀行に預け、その利子(年利約8パーセント)を活用して、かつてアレンさんが駐留した場所であるタムキーの周辺の子どもたちを対象に、「アレン・ネルソン奨学金」を設立してはどうか、ということになりました。青葉奨学会代表のホーエ氏からも、この構想に全面的に賛同するという言葉をいただきました。ホーエ氏はタムキー市の学習奨励会の方々に協力を依頼、私たちはアレンさんの本を翻訳してベトナム語の小冊子を作るなど、準備を進めました。そして、このほど発足にこぎつけ、タムキーの小学生100名に、私たちが奨学金とアレンさんの小冊子を手渡してきました。
支給式のあと、一人の生徒の家を訪ねました。かつての沖縄を思わせる、つつましくも穏やかな暮らしがありました。しかし昨年秋の台風のために稲の収穫がほとんどできず、現在の家計はとても厳しいため、お母さんが出稼ぎに行くことも考えているということでした。アレン・ネルソン奨学金が、生徒たちを支えるために、多少は役に立ってくれるでしょうか。
支給式や現地の様子について「ベトナム青葉奨学会」のブログに詳しい報告を載せました。また2月27日午後6時より、那覇市NPO活動支援センター会議室で「アレン・ネルソン奨学金」発足報告会を行います。多くの方々の参加をお待ちしています。問い合わせは080-2719-4720村田まで
去った2月5日、ベトナム中部のクアンナム省タムキー市の公会堂で、「アレン・ネルソン奨学金」の支給式が行われました。
米海兵隊員としてベトナム戦争に参加したアレン・ネルソンさんは、1996年以降何度も沖縄を訪ね、戦争の真実について私たちに語りかけてくれました。そのアレンさんが「多発性骨髄腫」という深刻な病気に侵されていることがわかったのは、昨年の1月。アレンさんの闘病を励ますため、友人たちが治療費のカンパを呼びかけたところ、短期間のうちに沖縄で130万円、全国では1000万円を超えるお金が集まりました。しかし、3月25日、アレンさんは亡くなりました。集まったお金はアレンさんの入院費や葬儀の費用に充てましたが、かなりの金額が残り、遺族の方から「アレンの遺志を生かすために使ってほしい」との希望が伝えられました。
昨年6月、私たちベトナム青葉奨学会沖縄委員会は、アレン・ネルソン基金の代表の方から「基金の残りをベトナムの人たちのために役立ててもらえないか」との打診を受けました。話し合った結果、基金をベトナムの銀行に預け、その利子(年利約8パーセント)を活用して、かつてアレンさんが駐留した場所であるタムキーの周辺の子どもたちを対象に、「アレン・ネルソン奨学金」を設立してはどうか、ということになりました。青葉奨学会代表のホーエ氏からも、この構想に全面的に賛同するという言葉をいただきました。ホーエ氏はタムキー市の学習奨励会の方々に協力を依頼、私たちはアレンさんの本を翻訳してベトナム語の小冊子を作るなど、準備を進めました。そして、このほど発足にこぎつけ、タムキーの小学生100名に、私たちが奨学金とアレンさんの小冊子を手渡してきました。
支給式のあと、一人の生徒の家を訪ねました。かつての沖縄を思わせる、つつましくも穏やかな暮らしがありました。しかし昨年秋の台風のために稲の収穫がほとんどできず、現在の家計はとても厳しいため、お母さんが出稼ぎに行くことも考えているということでした。アレン・ネルソン奨学金が、生徒たちを支えるために、多少は役に立ってくれるでしょうか。
支給式や現地の様子について「ベトナム青葉奨学会」のブログに詳しい報告を載せました。また2月27日午後6時より、那覇市NPO活動支援センター会議室で「アレン・ネルソン奨学金」発足報告会を行います。多くの方々の参加をお待ちしています。問い合わせは080-2719-4720村田まで
アレン・ネルソン奨学金支給式
2010年02月10日
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局 村田光司
「アレン・ネルソン奨学金」の支給式が、2月5日(金)の朝、ベトナム中部クアンナム省タムキー市の公会堂で行われました。 タムキー市は、かつてアレン・ネルソンさんが米海兵隊員として駐留していた場所です。
支給式には、ドンズー日本語学校ダナン校のタン先生たちと一緒に私が参加し、タムキー市に住む100名の小学生に、1人当たり30万ドン(約1500円)の奨学金と、ベトナム語に翻訳したアレンさんの本を、直接渡してきました。
30万ドンという金額は決して多くはありませんが、現金収入の少ない農家では、1ケ月分の収入を超える場合もあります。大都市はともかく、地方で暮らしている小学生の勉強を励ますには、十分に意味のある金額であると聞いています。 アレンさんの本は、タムキー市の学習奨励会(Hoi khuyen hoc)を通して、市内の小・中・高校の図書館にも置いてくれる、ということです。
学習奨励会主席の方が、アレンさんが駐留していたと思われる基地の跡地も、案内して下さいました。(アレンさんの本は、昨日、ホーチミン市戦争証跡博物館のフィン・ゴック・ヴァン館長にも、20冊ほど寄贈してきました) また、1名の生徒にお願いして家を訪問させてもらい、奨学金を受け取った子どもたちの暮らしぶりの一端も、見ることができました。今回は準備時間がなかったこともあり、私が1人で行ってきましたが、ぜひ現地に行ってみたいという要望もいただいていますので、できれば来年以降スタディーツアーを企画してみたいと思います。
今回支給した金額は、合計で約15万円ですので、ホーチミン市の農業・農村開発銀行に220万円あまりが預金として残っています。来年以降は、基本的にその利子を活用して奨学金に充てることになりますが、今年と同じ規模の支援を、長く続けることができると思います。資金の管理は、青葉奨学会ホーチミン事務局が担当してくれています。
支給式や現地の様子について、これから何回かに分けて、青葉奨学会沖縄委員会のブログhttp://aobaokinawa.ti-da.net/で詳しく報告する予定です。関心のある方は、時間のあるときに、ときどきチェックしていただけると幸いです。
また、奨学金発足の報告会を次のように行いますので、ぜひお越し下さい。
2月27日(土)午後6時~8時
那覇市NPO活動支援センター・ミーティングルーム(てんぶす那覇3階)
参加費 300円(資料代込み)
(近いうちに、東京でも報告会を行いたいと思います)
疑問の点や、ご意見などがありましたら、気軽にご連絡下さい。今後ともよろしくお願いいたします。
連絡先 ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局 村田光司
080-2719-4720
muraquang@ybb.ne.jp
「アレン・ネルソン奨学金」の支給式が、2月5日(金)の朝、ベトナム中部クアンナム省タムキー市の公会堂で行われました。 タムキー市は、かつてアレン・ネルソンさんが米海兵隊員として駐留していた場所です。
支給式には、ドンズー日本語学校ダナン校のタン先生たちと一緒に私が参加し、タムキー市に住む100名の小学生に、1人当たり30万ドン(約1500円)の奨学金と、ベトナム語に翻訳したアレンさんの本を、直接渡してきました。
30万ドンという金額は決して多くはありませんが、現金収入の少ない農家では、1ケ月分の収入を超える場合もあります。大都市はともかく、地方で暮らしている小学生の勉強を励ますには、十分に意味のある金額であると聞いています。 アレンさんの本は、タムキー市の学習奨励会(Hoi khuyen hoc)を通して、市内の小・中・高校の図書館にも置いてくれる、ということです。
学習奨励会主席の方が、アレンさんが駐留していたと思われる基地の跡地も、案内して下さいました。(アレンさんの本は、昨日、ホーチミン市戦争証跡博物館のフィン・ゴック・ヴァン館長にも、20冊ほど寄贈してきました) また、1名の生徒にお願いして家を訪問させてもらい、奨学金を受け取った子どもたちの暮らしぶりの一端も、見ることができました。今回は準備時間がなかったこともあり、私が1人で行ってきましたが、ぜひ現地に行ってみたいという要望もいただいていますので、できれば来年以降スタディーツアーを企画してみたいと思います。
今回支給した金額は、合計で約15万円ですので、ホーチミン市の農業・農村開発銀行に220万円あまりが預金として残っています。来年以降は、基本的にその利子を活用して奨学金に充てることになりますが、今年と同じ規模の支援を、長く続けることができると思います。資金の管理は、青葉奨学会ホーチミン事務局が担当してくれています。
支給式や現地の様子について、これから何回かに分けて、青葉奨学会沖縄委員会のブログhttp://aobaokinawa.ti-da.net/で詳しく報告する予定です。関心のある方は、時間のあるときに、ときどきチェックしていただけると幸いです。
また、奨学金発足の報告会を次のように行いますので、ぜひお越し下さい。
2月27日(土)午後6時~8時
那覇市NPO活動支援センター・ミーティングルーム(てんぶす那覇3階)
参加費 300円(資料代込み)
(近いうちに、東京でも報告会を行いたいと思います)
疑問の点や、ご意見などがありましたら、気軽にご連絡下さい。今後ともよろしくお願いいたします。
連絡先 ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局 村田光司
080-2719-4720
muraquang@ybb.ne.jp
アレン・ネルソン奨学金の支給式
2010年02月06日
本日、2月5日にベトナムのクアンナム省で、アレン・ネルソン奨学金の支給式が行われました。
アレンさんが海兵隊員として駐留していたのがクアンナム省でした。
ベトナム青葉奨学会は、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(講談社)と、『戦場で心が壊れて』(新日本出版社)を出版社の承諾を得てベトナム語に翻訳し、要約して、ベトナムの人たちがアレンさんを理解できるようにと準備してくださいました。
支給式の様子など詳しくは、2月27日(土)の報告会で聞けると思いますが、ベトナム青葉奨学会のブログも随時ご覧ください。
http://aobaokinawa.ti-da.net/
明日2月6日と7日、那覇市の桜坂劇場で公開される映画「アメリカ 戦争する人々」(藤本幸久監督)にアレンさんが登場するとのこと。
上映時間が午前11時から494分(8時間以上!)あり、2回食事休憩があるそうです。
体力がもつのか少し心配ですが、楽しみにしています。
「そんなに長い時間は無理ー」という方は、ぜひ藤本監督の「ONE SHOT ONE KILL 〜兵士になるということ」をどうぞ。
こちらは108分です。
アレンさんが海兵隊員として駐留していたのがクアンナム省でした。
ベトナム青葉奨学会は、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(講談社)と、『戦場で心が壊れて』(新日本出版社)を出版社の承諾を得てベトナム語に翻訳し、要約して、ベトナムの人たちがアレンさんを理解できるようにと準備してくださいました。
支給式の様子など詳しくは、2月27日(土)の報告会で聞けると思いますが、ベトナム青葉奨学会のブログも随時ご覧ください。
http://aobaokinawa.ti-da.net/
明日2月6日と7日、那覇市の桜坂劇場で公開される映画「アメリカ 戦争する人々」(藤本幸久監督)にアレンさんが登場するとのこと。
上映時間が午前11時から494分(8時間以上!)あり、2回食事休憩があるそうです。
体力がもつのか少し心配ですが、楽しみにしています。
「そんなに長い時間は無理ー」という方は、ぜひ藤本監督の「ONE SHOT ONE KILL 〜兵士になるということ」をどうぞ。
こちらは108分です。
「アレン・ネルソン奨学金」発足報告会
2010年02月04日
アレン・ネルソン奨学金発足の報告会を、2月27日(土)午後6時から、那覇市NPO活動支援センターのミーティングルーム(てんぶす那覇3階)で行うことになりました。(アレン・ネルソン基金沖縄の会と青葉奨学会沖縄委員会の共催)。
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東の大畑豊さんが詳しいお知らせを書いてくれました。
「アレン・ネルソン奨学金」発足報告会
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東 大畑 豊
ベトナムで自らが犯した過ちをまっすぐに見つめて、戦争の真実を語り続けたアレンさん。沖縄の基地の現状に胸を痛めて、米軍をアメリカ本土に呼び戻そうと奔走したアレンさん。
そのアレンさんが重い病に倒れたのは、2009年の初めのことでした。彼の回復を願い、多くの方が治療のためのお金を寄せてくれました。私たちは、そのお金を病床のアレンさんのもとに届けました。しかし、同年3月25日、彼は還らぬ人となりました。遺族の方々は、こう言いました。「残ったお金は、アレンの遺志を生かすために使ってください」
アレンさんは、最期までベトナムの人々のことを気にかけていました。話し合った結果、私たちは、このお金をベトナムの明日を担う子どもたちの奨学金として生かすことにしました。基金をベトナムの銀行に預け、その利子(年利約8%)を活用してアレンさんがかつて海兵隊員として駐留した、中部クアンナム省の農村部や山間部の子どもたちへの奨学金として役立てられます。この奨学金は「アレン・ネルソン奨学金」と名づけられます。アレンさんの本をベトナム語に翻訳して、小さな本もできました。
奨学金発足に至ったいきさつや、クアンナム省の子どもたちの様子について、報告会を行ないます。どなたでも参加できますので、どうぞお気軽にお越しください。
日 時:2月27日(土) 午後6時~8時
内 容:6時~ DVD「Allen Nelson ベトナムの記憶」上映予定
7時~ 「アレン・ネルソン奨学金」発足報告
会 場:那覇市NPO活動支援センター・ミーティングルーム(てんぶす那覇 3階)
参加費:300円(資料代込み)
主 催:アレン・ネルソン基金沖縄の会/ベトナム青葉奨学会沖縄委員会
連絡先:098-864-1539(すぺーす結)
080-2719-4720(村田)
メール: muraquang@ybb.ne.jp
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東の大畑豊さんが詳しいお知らせを書いてくれました。
「アレン・ネルソン奨学金」発足報告会
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東 大畑 豊
ベトナムで自らが犯した過ちをまっすぐに見つめて、戦争の真実を語り続けたアレンさん。沖縄の基地の現状に胸を痛めて、米軍をアメリカ本土に呼び戻そうと奔走したアレンさん。
そのアレンさんが重い病に倒れたのは、2009年の初めのことでした。彼の回復を願い、多くの方が治療のためのお金を寄せてくれました。私たちは、そのお金を病床のアレンさんのもとに届けました。しかし、同年3月25日、彼は還らぬ人となりました。遺族の方々は、こう言いました。「残ったお金は、アレンの遺志を生かすために使ってください」
アレンさんは、最期までベトナムの人々のことを気にかけていました。話し合った結果、私たちは、このお金をベトナムの明日を担う子どもたちの奨学金として生かすことにしました。基金をベトナムの銀行に預け、その利子(年利約8%)を活用してアレンさんがかつて海兵隊員として駐留した、中部クアンナム省の農村部や山間部の子どもたちへの奨学金として役立てられます。この奨学金は「アレン・ネルソン奨学金」と名づけられます。アレンさんの本をベトナム語に翻訳して、小さな本もできました。
奨学金発足に至ったいきさつや、クアンナム省の子どもたちの様子について、報告会を行ないます。どなたでも参加できますので、どうぞお気軽にお越しください。
日 時:2月27日(土) 午後6時~8時
内 容:6時~ DVD「Allen Nelson ベトナムの記憶」上映予定
7時~ 「アレン・ネルソン奨学金」発足報告
会 場:那覇市NPO活動支援センター・ミーティングルーム(てんぶす那覇 3階)
参加費:300円(資料代込み)
主 催:アレン・ネルソン基金沖縄の会/ベトナム青葉奨学会沖縄委員会
連絡先:098-864-1539(すぺーす結)
080-2719-4720(村田)
メール: muraquang@ybb.ne.jp
「アレン・ネルソン奨学金」の中間報告
2009年09月02日
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会から、「アレン・ネルソン奨学金」開始に向けての中間報告が届いています。高里代表と村田事務局長は直接ベトナムを訪れ、現地代表と具体的な話し合いを進めてきてくださいました。
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のブログ(http://aobaokinawa.ti-da.net/)からも、アレンさんの遺志を大切にするために努力してくださっていることが伝わってきます。とてもありがたく、うれしいです。
なお、全国のアレン・ネルソン基金もこの「アレン・ネルソン奨学金」に賛同し、約171万円を寄付してくださいました。
寄付のお礼と「アレン・ネルソン奨学金」中間報告
お世話になっております。ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局の村田です。 このたびは、多額の寄付を寄せていただき、本当にありがとうございます。
現在、アレン・ネルソン基金からは171万1440円を、アレン・ネルソン基金沖縄の会からは65万8761円をお預かりしています。
このほど、8月20日から23日まで、青葉奨学会沖縄委員会の高里鈴代代表と、事務局の私の2人でベトナム・ホーチミン市に行き、ベトナム青葉奨学会のグエン・ドゥック・ホーエ代表と、アレン・ネルソン基金の活用方法について意見交換をしてきました。
その結果、私たちが当初考えていたように、基金をベトナムの銀行に預け、その利子を活用してベトナムの貧困家庭の子どもたちに奨学金を支援しようということになりました。
現在の年利は8パーセント程度なので、仮に250万円を預けたとすると、利率が変わらなければ毎年20万円ほどの利子を活用することができます。この奨学金は、一人当たり年額1500円あまりなので、100名以上を支援することが可能です。
(一人当たりの金額が少なすぎるのでは、と質問しましたが、現金収入がほとんどない山間部などでは、この金額は生徒の向学心を励ますには大きな意味がある、ということでした。)
奨学金の名前は「アレン・ネルソン奨学金」とし、支援地域は、1966年から67年にかけてアレン・ネルソンさんが駐留していたベトナム中部クアンナム省タムキー周辺の山間部・農村部を対象にしようということになりました。
ホーエ代表が9月に中部のダナンに出張するので、そのさいにクアンナム省に足を伸ばして、現地の教育関係者と奨学金について話し合いをしてきて下さるそうです。
ホーエ代表には、アレン・ネルソンさんの本「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」「戦場で心が壊れて」「そのとき赤ん坊が私の手の中に」「沖縄に基地はいらない」を2冊ずつ、またベトナムの新聞「Tien Phong」に載ったネルソンさんの記事(ピースボートでダナンを再訪したときの記事。あまり正確な記事ではないのですが…)をお渡しし、私たちが基金を託されることになった経緯を説明してきました。
今後、もし可能であれば、アレン・ネルソンさんの本の一部などをベトナム語に翻訳して、ネルソンさんについてベトナムの方々に伝えていきたいと思っています。
また、奨学金発足のさいには、子どもたちとの交流も兼ねて「アレン・ネルソンさんの足跡をたどる旅」といったスタディーツアーも企画してみたいと考えています。
正式な決定は、ホーエ代表とクアンナム省の方々との話し合いの後になりますが、「アレン・ネルソン奨学金」の発足に向けて、とりあえず一歩進んだ形になると思います。
今後、また何か動きがありましたら、ご報告します。疑問の点や、ご要望などがありましたら、いつでもお知らせ下さい。では、今後ともよろしくお願いいたします。
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局長 村田光司
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のブログ(http://aobaokinawa.ti-da.net/)からも、アレンさんの遺志を大切にするために努力してくださっていることが伝わってきます。とてもありがたく、うれしいです。
なお、全国のアレン・ネルソン基金もこの「アレン・ネルソン奨学金」に賛同し、約171万円を寄付してくださいました。
寄付のお礼と「アレン・ネルソン奨学金」中間報告
お世話になっております。ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局の村田です。 このたびは、多額の寄付を寄せていただき、本当にありがとうございます。
現在、アレン・ネルソン基金からは171万1440円を、アレン・ネルソン基金沖縄の会からは65万8761円をお預かりしています。
このほど、8月20日から23日まで、青葉奨学会沖縄委員会の高里鈴代代表と、事務局の私の2人でベトナム・ホーチミン市に行き、ベトナム青葉奨学会のグエン・ドゥック・ホーエ代表と、アレン・ネルソン基金の活用方法について意見交換をしてきました。
その結果、私たちが当初考えていたように、基金をベトナムの銀行に預け、その利子を活用してベトナムの貧困家庭の子どもたちに奨学金を支援しようということになりました。
現在の年利は8パーセント程度なので、仮に250万円を預けたとすると、利率が変わらなければ毎年20万円ほどの利子を活用することができます。この奨学金は、一人当たり年額1500円あまりなので、100名以上を支援することが可能です。
(一人当たりの金額が少なすぎるのでは、と質問しましたが、現金収入がほとんどない山間部などでは、この金額は生徒の向学心を励ますには大きな意味がある、ということでした。)
奨学金の名前は「アレン・ネルソン奨学金」とし、支援地域は、1966年から67年にかけてアレン・ネルソンさんが駐留していたベトナム中部クアンナム省タムキー周辺の山間部・農村部を対象にしようということになりました。
ホーエ代表が9月に中部のダナンに出張するので、そのさいにクアンナム省に足を伸ばして、現地の教育関係者と奨学金について話し合いをしてきて下さるそうです。
ホーエ代表には、アレン・ネルソンさんの本「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」「戦場で心が壊れて」「そのとき赤ん坊が私の手の中に」「沖縄に基地はいらない」を2冊ずつ、またベトナムの新聞「Tien Phong」に載ったネルソンさんの記事(ピースボートでダナンを再訪したときの記事。あまり正確な記事ではないのですが…)をお渡しし、私たちが基金を託されることになった経緯を説明してきました。
今後、もし可能であれば、アレン・ネルソンさんの本の一部などをベトナム語に翻訳して、ネルソンさんについてベトナムの方々に伝えていきたいと思っています。
また、奨学金発足のさいには、子どもたちとの交流も兼ねて「アレン・ネルソンさんの足跡をたどる旅」といったスタディーツアーも企画してみたいと考えています。
正式な決定は、ホーエ代表とクアンナム省の方々との話し合いの後になりますが、「アレン・ネルソン奨学金」の発足に向けて、とりあえず一歩進んだ形になると思います。
今後、また何か動きがありましたら、ご報告します。疑問の点や、ご要望などがありましたら、いつでもお知らせ下さい。では、今後ともよろしくお願いいたします。
ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局長 村田光司
アレン納骨式・偲ぶ会の報告
2009年07月14日
平塚淳次郎さん(アレン・ネルソン ネットワーク世話人会代表)からの報告です。
・・・・・・・・・・・・・・ご縁の皆様に<アレン納骨式><偲ぶ会>報告(090709)
AN救援基金 世話人代表 平塚淳次郎
二週間経過しました。御礼と報告が遅れたことをおゆるしください。
石川県加賀市はずれの光闡坊は、真宗中興の祖、蓮如上人建立の寺跡に立つ古刹。上人の大きな立像が目立つ以外は寺院通例の土塀や墓石とてない緑滴る境内の奥に質素な本堂が佇みます。その昔武家権力の介入により分裂した本願寺の東西のいずれにも属さない稀有の存在として孤高を保持するとか。
雨漏りのする荒れ寺に、十余年前に住み込んで、今親鸞を説きながら全国行脚をする佐野明弘師の「根城」。そして今「釈阿蓮」の永久の棲家となりました。
当日の謝辞を、日本国憲法第九条の朗読で始めることによって参列者を感動させたアネッタ夫人は、光闡坊納骨のいきさつを語りました。「アレンは、もし自分があとに遺ったら、わが心の師、佐野さんの傍で暮らしたいと語っていました。今回の来日は彼の遺志を生かす当然の務めでした。」
アレンと佐野師の初の出会いは04年5月30日、師自身の企画した当地の<アレン講演会>でした。以後急速に深まるご両者の心の交流の一端を物語るエピソードを師自身に語ってもらいましょう。
<・・・今沖縄の辺野古に米軍の基地が作られようとしている・・・それに反対して・・・アレンさんも抗議行動をしていました。ところが海上保安庁の大きな船が、皆の乗っている小さい舟の前で、スピードを出してギュッと曲がる・・・すごく高い波が襲ってきて・・・お年寄も皆命がけなのです。
アレンさんは怒りの心が起こってきて「あいつらを殺してやりたい」と思ったというのです。
「人には非暴力を説いて、そして自分自身もたくさんの人を殺して、そのことに死ぬほど苦しんできた。にもかかわらず、まだ自分の中から暴力が消えていない。どうしたらいいのだろう。」
これには困りました。私自身が浅い経験しかない。彼の深い問いに応える言葉がない。二十分ぐらい黙っていました。しかし、彼はずっと待っているのですね。(私が)最後に一言言ったのは「そうやって苦しんでいるあなたを信頼しているのです。あなたがそうやって苦しんでいる、そのことを信頼しています。」
(アレンさんは)「自分の求めている答えとは全く違うけれども、大切なことを聞いたようにおもいます」というようなことをおっしゃっていました。>
(以上「名古屋別院フォーラム人権連続講座講義録」より)
6月25日午後。本堂は170名の参列者であふれました。
<仕事が休めずに残念>というお断りをいただいた人たちを含む全国何千何万のアレンを悼む人たちの想いを代表した人たちの集いでした。
午後一時佐野師のつく鉦の音で開式が告げられ、20名近い僧侶の荘重な読経が響く中、アネッタ夫人、アレン令妹マーシェラを先頭に参列者それぞれの思いのこもった焼香が続きました。
佐野師による蓮如上人「白骨の書」の清澄な朗読。そして「my father」三宅信一氏の弔辞-アレン十余年の足跡を辿る慈愛に満ちた回想-が第一部を締めくくりました。
「キリスト教牧師の身で、アネッタさんに仏式焼香の作法を伝授しました」と語る、札幌山本光一師の人柄のにじむ司会が5時半まで続く<偲ぶ会>の座を和ませてくれました。
世話人の皆様の取り組み,寄せられた諸氏の弔辞,心のこもる会場でのご発言,通訳のご苦労,地元あるいはお寺関係者による準備から事後処理まで、感謝は尽きません。その中から敢えて登場願います。
アレン来日の仕掛け人、宜野座映子さんは十三年前、彼女の教室で「一回だけだよ」と重い口を開いてくれた戦場体験の本邦語り初めと、以後毎年欠かさぬ、そして昨秋は「来年もきっと」と念をおしたアレンと沖縄との絆を、いつに変わらぬ「九条最前線」の心そのままに伝えてくれました。
奉納演奏の若き堀越大二郎さん。故人に対する十年の敬慕と惜別の入魂のジャンベでした。アメリカからのお客様は皆踊り出さんばかり、最後は控えめな日本人も総立ちの拍手。“I’m happy here.”と笑顔のアレンが登場しそうな幕引きでした。
「アレンが蒔いた種の芽生え」(長野代表の言葉)は他にも集いの各所に見られました-納骨式の勤行に居並ぶ若き仏僧たち、大学キャンパス内の大講演会の取り組みを語った藤澤千夏さん、永らく通訳として各地でアレンの心を伝え当日も通訳団の中で優しい気配りをしてくれた中村みずきさん、そして太平洋の向うから駆けつけてくれたイラク帰還兵アッシュウールソン夫妻と通訳の相ケ瀬茜さん‥などなどの熱きハートにわが心も晴れやかに。
「アレン基金」残余分を、「ベトナム枯葉剤被害者への救援に充てる」課題をあとに残しました。その「執行及び報告」を以って世話人会の解散とさせていただきます。
改めて故アレンネルソン氏に対して、そして彼の活動を支えていただいた全ての人々に感謝!
・・・・・・・・・・・・・・ご縁の皆様に<アレン納骨式><偲ぶ会>報告(090709)
AN救援基金 世話人代表 平塚淳次郎
二週間経過しました。御礼と報告が遅れたことをおゆるしください。
石川県加賀市はずれの光闡坊は、真宗中興の祖、蓮如上人建立の寺跡に立つ古刹。上人の大きな立像が目立つ以外は寺院通例の土塀や墓石とてない緑滴る境内の奥に質素な本堂が佇みます。その昔武家権力の介入により分裂した本願寺の東西のいずれにも属さない稀有の存在として孤高を保持するとか。
雨漏りのする荒れ寺に、十余年前に住み込んで、今親鸞を説きながら全国行脚をする佐野明弘師の「根城」。そして今「釈阿蓮」の永久の棲家となりました。
当日の謝辞を、日本国憲法第九条の朗読で始めることによって参列者を感動させたアネッタ夫人は、光闡坊納骨のいきさつを語りました。「アレンは、もし自分があとに遺ったら、わが心の師、佐野さんの傍で暮らしたいと語っていました。今回の来日は彼の遺志を生かす当然の務めでした。」
アレンと佐野師の初の出会いは04年5月30日、師自身の企画した当地の<アレン講演会>でした。以後急速に深まるご両者の心の交流の一端を物語るエピソードを師自身に語ってもらいましょう。
<・・・今沖縄の辺野古に米軍の基地が作られようとしている・・・それに反対して・・・アレンさんも抗議行動をしていました。ところが海上保安庁の大きな船が、皆の乗っている小さい舟の前で、スピードを出してギュッと曲がる・・・すごく高い波が襲ってきて・・・お年寄も皆命がけなのです。
アレンさんは怒りの心が起こってきて「あいつらを殺してやりたい」と思ったというのです。
「人には非暴力を説いて、そして自分自身もたくさんの人を殺して、そのことに死ぬほど苦しんできた。にもかかわらず、まだ自分の中から暴力が消えていない。どうしたらいいのだろう。」
これには困りました。私自身が浅い経験しかない。彼の深い問いに応える言葉がない。二十分ぐらい黙っていました。しかし、彼はずっと待っているのですね。(私が)最後に一言言ったのは「そうやって苦しんでいるあなたを信頼しているのです。あなたがそうやって苦しんでいる、そのことを信頼しています。」
(アレンさんは)「自分の求めている答えとは全く違うけれども、大切なことを聞いたようにおもいます」というようなことをおっしゃっていました。>
(以上「名古屋別院フォーラム人権連続講座講義録」より)
6月25日午後。本堂は170名の参列者であふれました。
<仕事が休めずに残念>というお断りをいただいた人たちを含む全国何千何万のアレンを悼む人たちの想いを代表した人たちの集いでした。
午後一時佐野師のつく鉦の音で開式が告げられ、20名近い僧侶の荘重な読経が響く中、アネッタ夫人、アレン令妹マーシェラを先頭に参列者それぞれの思いのこもった焼香が続きました。
佐野師による蓮如上人「白骨の書」の清澄な朗読。そして「my father」三宅信一氏の弔辞-アレン十余年の足跡を辿る慈愛に満ちた回想-が第一部を締めくくりました。
「キリスト教牧師の身で、アネッタさんに仏式焼香の作法を伝授しました」と語る、札幌山本光一師の人柄のにじむ司会が5時半まで続く<偲ぶ会>の座を和ませてくれました。
世話人の皆様の取り組み,寄せられた諸氏の弔辞,心のこもる会場でのご発言,通訳のご苦労,地元あるいはお寺関係者による準備から事後処理まで、感謝は尽きません。その中から敢えて登場願います。
アレン来日の仕掛け人、宜野座映子さんは十三年前、彼女の教室で「一回だけだよ」と重い口を開いてくれた戦場体験の本邦語り初めと、以後毎年欠かさぬ、そして昨秋は「来年もきっと」と念をおしたアレンと沖縄との絆を、いつに変わらぬ「九条最前線」の心そのままに伝えてくれました。
奉納演奏の若き堀越大二郎さん。故人に対する十年の敬慕と惜別の入魂のジャンベでした。アメリカからのお客様は皆踊り出さんばかり、最後は控えめな日本人も総立ちの拍手。“I’m happy here.”と笑顔のアレンが登場しそうな幕引きでした。
「アレンが蒔いた種の芽生え」(長野代表の言葉)は他にも集いの各所に見られました-納骨式の勤行に居並ぶ若き仏僧たち、大学キャンパス内の大講演会の取り組みを語った藤澤千夏さん、永らく通訳として各地でアレンの心を伝え当日も通訳団の中で優しい気配りをしてくれた中村みずきさん、そして太平洋の向うから駆けつけてくれたイラク帰還兵アッシュウールソン夫妻と通訳の相ケ瀬茜さん‥などなどの熱きハートにわが心も晴れやかに。
「アレン基金」残余分を、「ベトナム枯葉剤被害者への救援に充てる」課題をあとに残しました。その「執行及び報告」を以って世話人会の解散とさせていただきます。
改めて故アレンネルソン氏に対して、そして彼の活動を支えていただいた全ての人々に感謝!
平和の足跡 思いはせ
2009年07月03日
アレンさん偲ぶ会 沖縄
3月に多発性骨髄腫で亡くなった、米国の反戦活動家アレン・ネルソンさん=享年61歳=を偲ぶ会が2日、沖縄市安慶田のくすぬち平和文化館で開かれた。生前に親交のあった約20人が集い、平和を希求し続けたアレンさんの足跡を振り返った。
会はアレン・ネルソン基金沖縄(宜野座映子代表)が主催。参加者はそれぞれアレンさんへの思いを語った。沖縄キリスト教学院大学聴講生の宮里さん(注)は「元軍人の、基地や軍隊に対する批判や真実を聞き衝撃を受けた。思いを受け継ぎたい」と話した。
米国から訪れた、アレンさんの妹のマーシェラ・フィリプスさんは「兄の死はとてもつらいが、沖縄の若い世代が遺志を継いでいることに感謝したい」と声を詰まらせた。
宜野座さんは「アレンさんはいつも『沖縄に基地があっていいのか』と問いかけていた。思いをしっかり受け止めて頑張っていきたい」と強調した。
同会では病気の治療費支援のために募った寄付金65万円余を、ベトナムへの奨学金として活用することを決定。ベトナム青葉奨学会沖縄委員会の高里鈴代代表に手渡した。
*沖縄タイムス・2009年7月3日付掲載

偲ぶ会会場にてマーシェラさん・マーシャルさん夫妻と
3月に多発性骨髄腫で亡くなった、米国の反戦活動家アレン・ネルソンさん=享年61歳=を偲ぶ会が2日、沖縄市安慶田のくすぬち平和文化館で開かれた。生前に親交のあった約20人が集い、平和を希求し続けたアレンさんの足跡を振り返った。
会はアレン・ネルソン基金沖縄(宜野座映子代表)が主催。参加者はそれぞれアレンさんへの思いを語った。沖縄キリスト教学院大学聴講生の宮里さん(注)は「元軍人の、基地や軍隊に対する批判や真実を聞き衝撃を受けた。思いを受け継ぎたい」と話した。
米国から訪れた、アレンさんの妹のマーシェラ・フィリプスさんは「兄の死はとてもつらいが、沖縄の若い世代が遺志を継いでいることに感謝したい」と声を詰まらせた。
宜野座さんは「アレンさんはいつも『沖縄に基地があっていいのか』と問いかけていた。思いをしっかり受け止めて頑張っていきたい」と強調した。
同会では病気の治療費支援のために募った寄付金65万円余を、ベトナムへの奨学金として活用することを決定。ベトナム青葉奨学会沖縄委員会の高里鈴代代表に手渡した。
*沖縄タイムス・2009年7月3日付掲載
偲ぶ会会場にてマーシェラさん・マーシャルさん夫妻と
活動報告とお礼
2009年07月03日
*7月2日に沖縄市のくすぬち平和文化館にて「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行いました。後ほど、その様子を報告しますが、当日配布した活動報告を掲載します。
元海兵隊員のアレン・ネルソンさんは、1995年の少女暴行事件に大きな衝撃を受け来沖されました。自らの体験に基づいて、戦争の真実を話し続け、13年間で沖縄・日本各地で2000回を超える講演活動を行ってこられました。
そのアレン・ネルソンさんが、今年1月、「多発性骨髄腫」というガンに侵されていることが判明しました。血液と骨髄の中でガン細胞が増殖する深刻な病気です。ベトナムで米軍がジャングルを枯らすために散布した枯葉剤との関連が疑われています。アメリカには国民健康保険制度がなく、ガンの治療には莫大な費用がかかることが予想されました。
そこで、私たちは「アレン・ネルソン基金沖縄」は2009年2月6日に結成し、沖縄からアレンさんの治療と活動を支えるため、募金活動を始めました。アレンさんの病状と基金の活動を新聞・テレビなどのマスメディアで紹介していただくとともに、インターネットのブログ、平和集会などでも呼びかけを行いました。
それにより、多数の方々から温かいご支援が寄せられ、募金総額は3月26日までに総額1,358,761円と25セントにのぼりました。
そのうち70万円(正確にはドルに交換のため699,660円)は3月8日に、宜野座映子が訪米し、アレンさんに直接手渡すことができました。大阪や東京など各地の募金と合わせると、この時点でアレンさんに届けられた募金は700万円を超えました。13年間にわたり、身を削って戦争の真実を伝えてくれたアレンさんに、日本中から送られた感謝のしるしでした。
募金やメッセージを受け取ったアレンさんは驚き、涙を流しました。こうして高額な医療費への不安を取りのぞき、アレンさんに安心して治療を受けてもらうことができたのです。
しかし、活動を続ける私たちのもとに、悲しい報せが届きました。3月25日水曜日の午後10時19分にアレンさんが亡くなったのです。激しい痛みに苦しめられた闘病生活でしたが、最後は安らかで、妻のアネッタさんが手を握る中、息を引き取ったとのことでした。
翌日の26日に訃報を受けた「アレン・ネルソン基金沖縄」事務局は募金活動を停止し、翌3月27日に銀行口座を閉鎖しました。そのため、募金をご準備くださっていた方々にはご迷惑をおかけしました。
3月31日にニューヨークで行われた葬儀に参列した、平塚淳次郎氏(全国世話人会代表)が、妻のアネッタさんから「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」、残金については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」というメッセージを受け取りました。
そこで、「アレン・ネルソン基金沖縄」に残された658,761円と25セントについては、事務局で議論し、ベトナム戦争で枯葉剤がまかれた地域の一つであるカンザー郡の子どもたちへの奨学金「アレン・ネルソン奨学金」として活用することになりました。
それがアレンさんの遺志に沿い、募金をお寄せくださった方々にもご納得いただけるのではないかと考えています。本日は、ベトナムにある青葉奨学会を支援している青葉奨学会沖縄委員会の代表を招き、寄付金を贈呈します。
これをもちまして、「アレン・ネルソン基金沖縄」は解散いたします。ただし、「アレン・ネルソン奨学金」についての続報、その他アレン・ネルソンさんに関する取り組みや情報があれば、このブログにて紹介していきます。
最後になりましたが、アレンさんの回復を祈り、「アレン・ネルソン基金沖縄」にご支援をお寄せくださった皆様に、深くお礼申し上げます。
2009年7月2日
アレン・ネルソン基金沖縄 代表 宜野座映子
元海兵隊員のアレン・ネルソンさんは、1995年の少女暴行事件に大きな衝撃を受け来沖されました。自らの体験に基づいて、戦争の真実を話し続け、13年間で沖縄・日本各地で2000回を超える講演活動を行ってこられました。
そのアレン・ネルソンさんが、今年1月、「多発性骨髄腫」というガンに侵されていることが判明しました。血液と骨髄の中でガン細胞が増殖する深刻な病気です。ベトナムで米軍がジャングルを枯らすために散布した枯葉剤との関連が疑われています。アメリカには国民健康保険制度がなく、ガンの治療には莫大な費用がかかることが予想されました。
そこで、私たちは「アレン・ネルソン基金沖縄」は2009年2月6日に結成し、沖縄からアレンさんの治療と活動を支えるため、募金活動を始めました。アレンさんの病状と基金の活動を新聞・テレビなどのマスメディアで紹介していただくとともに、インターネットのブログ、平和集会などでも呼びかけを行いました。
それにより、多数の方々から温かいご支援が寄せられ、募金総額は3月26日までに総額1,358,761円と25セントにのぼりました。
そのうち70万円(正確にはドルに交換のため699,660円)は3月8日に、宜野座映子が訪米し、アレンさんに直接手渡すことができました。大阪や東京など各地の募金と合わせると、この時点でアレンさんに届けられた募金は700万円を超えました。13年間にわたり、身を削って戦争の真実を伝えてくれたアレンさんに、日本中から送られた感謝のしるしでした。
募金やメッセージを受け取ったアレンさんは驚き、涙を流しました。こうして高額な医療費への不安を取りのぞき、アレンさんに安心して治療を受けてもらうことができたのです。
しかし、活動を続ける私たちのもとに、悲しい報せが届きました。3月25日水曜日の午後10時19分にアレンさんが亡くなったのです。激しい痛みに苦しめられた闘病生活でしたが、最後は安らかで、妻のアネッタさんが手を握る中、息を引き取ったとのことでした。
翌日の26日に訃報を受けた「アレン・ネルソン基金沖縄」事務局は募金活動を停止し、翌3月27日に銀行口座を閉鎖しました。そのため、募金をご準備くださっていた方々にはご迷惑をおかけしました。
3月31日にニューヨークで行われた葬儀に参列した、平塚淳次郎氏(全国世話人会代表)が、妻のアネッタさんから「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」、残金については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」というメッセージを受け取りました。
そこで、「アレン・ネルソン基金沖縄」に残された658,761円と25セントについては、事務局で議論し、ベトナム戦争で枯葉剤がまかれた地域の一つであるカンザー郡の子どもたちへの奨学金「アレン・ネルソン奨学金」として活用することになりました。
それがアレンさんの遺志に沿い、募金をお寄せくださった方々にもご納得いただけるのではないかと考えています。本日は、ベトナムにある青葉奨学会を支援している青葉奨学会沖縄委員会の代表を招き、寄付金を贈呈します。
これをもちまして、「アレン・ネルソン基金沖縄」は解散いたします。ただし、「アレン・ネルソン奨学金」についての続報、その他アレン・ネルソンさんに関する取り組みや情報があれば、このブログにて紹介していきます。
最後になりましたが、アレンさんの回復を祈り、「アレン・ネルソン基金沖縄」にご支援をお寄せくださった皆様に、深くお礼申し上げます。
2009年7月2日
アレン・ネルソン基金沖縄 代表 宜野座映子
ネルソンさんを偲ぶ会
2009年07月01日

ベトナム帰還兵として平和と憲法9条の大切さを訴えてきたアレン・ネルソンさんが亡くなって3カ月。
私は6月25日に石川県で行われた納骨式と偲(しの)ぶ会に参加してきた。
式には彼の家族・友人8人をはじめ160人余りが参加し、宗教や人種を超えて「平和の遺志」を継ぐ決意を新たにした。
クエーカー教徒(キリスト教の一派)のアレンさんが仏教徒である佐野明弘住職に納骨を託したのは、私たちがニューヨークに募金を届けたときのことだ。
「人間は罪を抱えて生まれてきている。罪を'懺悔(ざんげ)することの大切さを思います」という佐野氏に、アレンさんはこう言った。
「その通りです。ベトナムの防空壕で出産した女性のおなかから初めに出てきたのは水でした。人の命は水とともに生まれる。その水は、涙という懺悔の水に深くつながっています。罪を認める懺悔の涙は真実につながっており、それが人を解放するのです」と。
真実こそが人間を解放すると信じ、最後まで語ることをやめなかったアレンさん。その言葉に、私は魂を揺さぶられ、涙が止まらなかった。
妹のマーシェラさんを迎え、平和への思いを分かち合う場として、「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を2日午後7時から沖縄市くすぬち平和文化館=電話098(938)4192=で、行います。
皆さまのこ参加を呼びかけます。資料代一般500円。 (宜野座映子、アレン・ネルソン基金沖縄の会代表)
*2009年7月1日付沖縄タイムス掲載
「偲ぶ会」の日程変更
2009年06月25日
以前のブログに、訂正の形で掲載していますが、念のため「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」の日程変更をお知らせします。
改めてのお知らせが遅くなったことをお詫びします。
アレン・ネルソン基金・沖縄の会では、石川県でアレンさんの<納骨の儀式>と偲ぶ会当日の6月25日(木)に、「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を予定していました。
しかし、アレンさんの妹・マーチェラさんご夫妻が来沖することになりましたので、日程を変更し、ご夫妻に出席していただくことになりました。
マーチェラさんは、アレンさんが大好きだった沖縄を訪ねてみたいと希望されたのです。
以下、変更後の日程です。
日時 2009年7月2日(木)19:00~20:30
会場 くすぬち平和文化館
(℡ 098-938-4192/沖縄市安慶田1丁目29番10号)
アレンさんを直接知る方も、本などで出会った方も、アレンさんへの思いと平和を語り合う場にしたいと思います。
また、アレン・ネルソン基金の残金(658,761円と25セント)の取り扱いについて、沖縄の会事務局で話し合いました。
その結果、ベトナム青葉奨学会沖縄委員会を通じて「アレン・ネルソン奨学金」を設立し、ベトナムの貧困家庭の子どもたちの支援を行うことになりました。
つきましては、「偲ぶ会」の場でベトナム青葉奨学会沖縄委員会に来ていただき残金を託し、マスコミに公表する予定です。
沖縄の会代表の宜野座映子さんも、本日石川県で行われた「偲ぶ会」に参列しました。後日、その様子をご報告します。
改めてのお知らせが遅くなったことをお詫びします。
アレン・ネルソン基金・沖縄の会では、石川県でアレンさんの<納骨の儀式>と偲ぶ会当日の6月25日(木)に、「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を予定していました。
しかし、アレンさんの妹・マーチェラさんご夫妻が来沖することになりましたので、日程を変更し、ご夫妻に出席していただくことになりました。
マーチェラさんは、アレンさんが大好きだった沖縄を訪ねてみたいと希望されたのです。
以下、変更後の日程です。
日時 2009年7月2日(木)19:00~20:30
会場 くすぬち平和文化館
(℡ 098-938-4192/沖縄市安慶田1丁目29番10号)
アレンさんを直接知る方も、本などで出会った方も、アレンさんへの思いと平和を語り合う場にしたいと思います。
また、アレン・ネルソン基金の残金(658,761円と25セント)の取り扱いについて、沖縄の会事務局で話し合いました。
その結果、ベトナム青葉奨学会沖縄委員会を通じて「アレン・ネルソン奨学金」を設立し、ベトナムの貧困家庭の子どもたちの支援を行うことになりました。
つきましては、「偲ぶ会」の場でベトナム青葉奨学会沖縄委員会に来ていただき残金を託し、マスコミに公表する予定です。
沖縄の会代表の宜野座映子さんも、本日石川県で行われた「偲ぶ会」に参列しました。後日、その様子をご報告します。
アレン・ネルソンさんの死
2009年04月30日
アレン・ネルソンさんが死んだ。極度の体調悪化から、もう来沖は二度とないかもしれないという周りの予想を裏切って近年、彼は何度も沖縄に足を運んだ。まるで迫りくる死期の予感を振り切るように。しかし彼の身体は、ベトナムで浴びた枯葉剤の影響と思われる白血病で、確実に蝕まれていた。
あからさまな差別が横行するアメリカの貧しい家庭に生まれ、暴力で荒むニューヨークのスラムに育ち、母親の反対を押し切り18歳で海兵隊に入隊したネルソンさん。金と名誉と男としての力強さを象徴する海兵隊の制服に、彼は困窮した生活からの脱出と、黒人差別で完全否定された人間としての尊厳回復を夢見たのだった。
しかし入隊するや否や、彼は殺人兵器として心身ともに改造され、ベトナム人を殺すに値する虫けらとして信じるよう洗脳される。そしてベトナムのジャングルで彼を待っていたものは、殺戮、収奪、破壊、蛮行。暴力の限りを尽くしたその惨劇は、彼に残されていた一滴の人間性をも枯らしてしまいそうなほどだった。
除隊後、故郷に戻るも軍隊でのおこないを母親にとがめられ「もう私の子じゃない」と拒絶される。ベトナムでの悪夢に毎晩苦しめられ、家を追い出されて、23歳でホームレスとなる。心的外傷後ストレス障害を負った彼は、圧し掛かる罪悪感に潰されながら深い孤独へと落ちていったのだった。かつて彼が輝く軍服に託した夢は、ことごとく裏切られた。人種差別と貧困で既に傷ついていた自己への尊厳は、無残にも砕け散り、跡形もなくなっていた。
そんな彼にベトナムでの戦争体験を、子ども達へ語ってくれと迫った高校の同級生との再会。彼女が教師を勤める小学校で、彼は運命の質問を突きつけられる。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」。地獄の奈落へと叩き落され、泣き崩れる彼を子ども達は涙で抱擁した。「かわいそうなネルソンさん」。その赦しの言葉と子ども達の温もりに救われた彼は、戦争体験を次世代に伝える使命を感じる。粉々になった人間性と自己の尊厳を、一つひとつ拾い集めながら。
「何度話しても、辛いもんだよ」。講演会後にビールを飲みながら充血した目を潤ませていたネルソンさん。「でも、この使命があるから生かされているのだと思う」。医者からは止められているはずのタバコを吸っては咳き込みながら、そう語っていた。かつての奴隷船船長が、贖罪の念を込めて作り、その後黒人霊歌として歌い継がれてきた「アメイジング・グレイス」を、ネルソンさんは好んで歌った。清らかなゴスペルの響きではなく、すすり泣くようなハーモニカの声と、一人淋しく歩くようなギターのノート。心の闇を抱えたまま一人過去と対峙し、魂を絞るように吐き出すブルースの音色は、絶望ではなく立ち向かう勇気を感じさせた。
最後の訪沖となった昨年10月、ネルソンさんは今までの講演会形式ではなく、小さな集まりの会を、学生たちのために持ってくれた。たまたまそこにあったギターを手にとって、私も飛び入りした。咽ぶような彼の声に、共感のリフで応える。ネルソンさんと共演したのは、これが最初で最後だった。この日も、彼の通訳をしたが、ネルソンさんの話には深いビートがあった。その言葉は私の魂を震わせ高揚させる。そして何度も何度も、彼の平和への祈りは、私の心のなかで激しい共鳴を生み続け、私はその響きに自分の祈りを重ねた。
最近、米兵と結婚して出産した学生に、彼は父親のようにこう話しかけた。「心配になったら、いつでも連絡しなさい。早く除隊するように説得するから」。不安に涙する彼女の手を握りながら。学生一人ひとりに真剣に話しかけ、激しく咳き込みながらも、まるで命を削るかのように、彼のメッセージを伝え続けた。「軍事基地がある限り、沖縄の若者に未来はない」。
ネルソンさんが初めて来沖したのは、1995年の「少女暴行事件」がきっかけだった。ちょうどその頃、沖縄からのキャラバン隊が、米軍基地被害を訴えてアメリカ各地を行脚していた。しかし軍人の結婚相手が県人会メンバーの多数を占める地域では、キャラバン隊と受け入れ側の間に深い溝があった。米軍を糾弾する沖縄代表。その告発に激しく反論する元沖縄駐在の退役軍人。その狭間で震えながら目を伏せる結婚相手の沖縄女性たち。
軍事基地の存在は、この島にいくつもの分断線を引いていった。世代が、地域が、家族までもがその政治に巻き込まれて引き裂かれてきた。ネルソンさんは、私たちと米兵という最も険しい分断線に、その身を横たえた。ひとりの人間として。「よき隣人政策」などというマヤカシではなく、真の隣人として。
彼がその命燃え尽きるまで突き通したことは、自らの弱さや過ちに背を向けることなく、差別や抑圧を受けている人々と連帯して、社会を変革しようとする生き方だ。私たちもまた、悔い改め勇気を持って行動しなければならない。ネルソンさんの平和への思いは、夢は、まだ死んでいない。
新垣誠(沖縄キリスト教学院大学准教授)
*2009年4月27日付沖縄タイムス掲載。
あからさまな差別が横行するアメリカの貧しい家庭に生まれ、暴力で荒むニューヨークのスラムに育ち、母親の反対を押し切り18歳で海兵隊に入隊したネルソンさん。金と名誉と男としての力強さを象徴する海兵隊の制服に、彼は困窮した生活からの脱出と、黒人差別で完全否定された人間としての尊厳回復を夢見たのだった。
しかし入隊するや否や、彼は殺人兵器として心身ともに改造され、ベトナム人を殺すに値する虫けらとして信じるよう洗脳される。そしてベトナムのジャングルで彼を待っていたものは、殺戮、収奪、破壊、蛮行。暴力の限りを尽くしたその惨劇は、彼に残されていた一滴の人間性をも枯らしてしまいそうなほどだった。
除隊後、故郷に戻るも軍隊でのおこないを母親にとがめられ「もう私の子じゃない」と拒絶される。ベトナムでの悪夢に毎晩苦しめられ、家を追い出されて、23歳でホームレスとなる。心的外傷後ストレス障害を負った彼は、圧し掛かる罪悪感に潰されながら深い孤独へと落ちていったのだった。かつて彼が輝く軍服に託した夢は、ことごとく裏切られた。人種差別と貧困で既に傷ついていた自己への尊厳は、無残にも砕け散り、跡形もなくなっていた。
そんな彼にベトナムでの戦争体験を、子ども達へ語ってくれと迫った高校の同級生との再会。彼女が教師を勤める小学校で、彼は運命の質問を突きつけられる。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」。地獄の奈落へと叩き落され、泣き崩れる彼を子ども達は涙で抱擁した。「かわいそうなネルソンさん」。その赦しの言葉と子ども達の温もりに救われた彼は、戦争体験を次世代に伝える使命を感じる。粉々になった人間性と自己の尊厳を、一つひとつ拾い集めながら。
「何度話しても、辛いもんだよ」。講演会後にビールを飲みながら充血した目を潤ませていたネルソンさん。「でも、この使命があるから生かされているのだと思う」。医者からは止められているはずのタバコを吸っては咳き込みながら、そう語っていた。かつての奴隷船船長が、贖罪の念を込めて作り、その後黒人霊歌として歌い継がれてきた「アメイジング・グレイス」を、ネルソンさんは好んで歌った。清らかなゴスペルの響きではなく、すすり泣くようなハーモニカの声と、一人淋しく歩くようなギターのノート。心の闇を抱えたまま一人過去と対峙し、魂を絞るように吐き出すブルースの音色は、絶望ではなく立ち向かう勇気を感じさせた。
最後の訪沖となった昨年10月、ネルソンさんは今までの講演会形式ではなく、小さな集まりの会を、学生たちのために持ってくれた。たまたまそこにあったギターを手にとって、私も飛び入りした。咽ぶような彼の声に、共感のリフで応える。ネルソンさんと共演したのは、これが最初で最後だった。この日も、彼の通訳をしたが、ネルソンさんの話には深いビートがあった。その言葉は私の魂を震わせ高揚させる。そして何度も何度も、彼の平和への祈りは、私の心のなかで激しい共鳴を生み続け、私はその響きに自分の祈りを重ねた。
最近、米兵と結婚して出産した学生に、彼は父親のようにこう話しかけた。「心配になったら、いつでも連絡しなさい。早く除隊するように説得するから」。不安に涙する彼女の手を握りながら。学生一人ひとりに真剣に話しかけ、激しく咳き込みながらも、まるで命を削るかのように、彼のメッセージを伝え続けた。「軍事基地がある限り、沖縄の若者に未来はない」。
ネルソンさんが初めて来沖したのは、1995年の「少女暴行事件」がきっかけだった。ちょうどその頃、沖縄からのキャラバン隊が、米軍基地被害を訴えてアメリカ各地を行脚していた。しかし軍人の結婚相手が県人会メンバーの多数を占める地域では、キャラバン隊と受け入れ側の間に深い溝があった。米軍を糾弾する沖縄代表。その告発に激しく反論する元沖縄駐在の退役軍人。その狭間で震えながら目を伏せる結婚相手の沖縄女性たち。
軍事基地の存在は、この島にいくつもの分断線を引いていった。世代が、地域が、家族までもがその政治に巻き込まれて引き裂かれてきた。ネルソンさんは、私たちと米兵という最も険しい分断線に、その身を横たえた。ひとりの人間として。「よき隣人政策」などというマヤカシではなく、真の隣人として。
彼がその命燃え尽きるまで突き通したことは、自らの弱さや過ちに背を向けることなく、差別や抑圧を受けている人々と連帯して、社会を変革しようとする生き方だ。私たちもまた、悔い改め勇気を持って行動しなければならない。ネルソンさんの平和への思いは、夢は、まだ死んでいない。
新垣誠(沖縄キリスト教学院大学准教授)
*2009年4月27日付沖縄タイムス掲載。
偲ぶ会について
2009年04月23日
先日、事務局会議を行いました。
アレンさんの妻・アネッタさんから「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」、残金については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」というメッセージを、平塚淳次郎さん(アレン・ネルソン ネットワーク世話人会代表)を通じて受け取ったことを確認しました。
アレン・ネルソン基金・沖縄の会には、3月26日までに総額1,358,761円と25セントの募金をお寄せいただきました。
事務局の判断で、3月27日に急きょ銀行口座を閉鎖したため、募金をご準備くださった方々にご迷惑をおかけしました。
募金の70万円は3月8日にアレンさんに届けています。したがって、658,761円と25セントが残っています。
事務局では、ベトナムの枯葉剤被害者の支援のために送金するという案が出ています。それがアレンさんの遺志に沿い、募金をお寄せくださった方々にもご納得いただけるのではないかと考えています。
もし他によいアイディアがおありでしたら、ぜひお知らせいただきたいと思います。
アネッタさんが来日し、6月25日(木)、石川県加賀市の光闡坊(コウセンボウ)で、アレンさんの<納骨の儀式>と偲ぶ会が行われます。
それに合わせて沖縄でも同じ日に、「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行うことになりました。
日時 2009年6月25日(木) →7月2日(木)に変更します。
会場 くすぬち平和文化館 (℡ 098-938-4192/沖縄安慶田1丁目29番10号)
アレンさんを直接知る方も、本などで出会った方も、皆様とご一緒に、アレンさんとへの思いと平和を語り合う場にしたいと思います。
*アレンさんの妹・マーチェラさんご夫妻が来沖することになりました。アレンさんが大好きだった沖縄を訪ねてみたいと希望されたのです。そこで、7月2日(木)に「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行うことになりました。会場に変更はありません。
アレンさんの妻・アネッタさんから「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」、残金については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」というメッセージを、平塚淳次郎さん(アレン・ネルソン ネットワーク世話人会代表)を通じて受け取ったことを確認しました。
アレン・ネルソン基金・沖縄の会には、3月26日までに総額1,358,761円と25セントの募金をお寄せいただきました。
事務局の判断で、3月27日に急きょ銀行口座を閉鎖したため、募金をご準備くださった方々にご迷惑をおかけしました。
募金の70万円は3月8日にアレンさんに届けています。したがって、658,761円と25セントが残っています。
事務局では、ベトナムの枯葉剤被害者の支援のために送金するという案が出ています。それがアレンさんの遺志に沿い、募金をお寄せくださった方々にもご納得いただけるのではないかと考えています。
もし他によいアイディアがおありでしたら、ぜひお知らせいただきたいと思います。
アネッタさんが来日し、6月25日(木)、石川県加賀市の光闡坊(コウセンボウ)で、アレンさんの<納骨の儀式>と偲ぶ会が行われます。
それに合わせて沖縄でも同じ日に、「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行うことになりました。
日時 2009年6月25日(木) →7月2日(木)に変更します。
会場 くすぬち平和文化館 (℡ 098-938-4192/沖縄安慶田1丁目29番10号)
アレンさんを直接知る方も、本などで出会った方も、皆様とご一緒に、アレンさんとへの思いと平和を語り合う場にしたいと思います。
*アレンさんの妹・マーチェラさんご夫妻が来沖することになりました。アレンさんが大好きだった沖縄を訪ねてみたいと希望されたのです。そこで、7月2日(木)に「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行うことになりました。会場に変更はありません。
お葬式の報告
2009年04月08日
アレンさんの葬儀に参列した平塚淳次郎さん(アレン・ネルソン ネットワーク世話人会代表)からの報告です。
葬儀参列報告
葬儀は31日にニューヨーク市ブルックリンで行われました。日本人参加者は、28日急遽成田から飛んだ佐野明弘、嬉野京子と私の世話人三人及び、ニューヨーク在の比嘉良治氏(ロードアイランド大名誉教授)、石橋行受上人(日本山妙法寺)の合計五名でした。
式は二部に別れ、第一部は午後4時から5時までトロイ街のウッドワード葬儀会館で遺族、友人50名出席のもとに、第二部はその後親族中心の十人余の内輪の集いとして行われました。いずれの場にも故人の希望に基づく仏式の祈りが近代都市の一角に自然に溶け込んでいました。
第一部の式場で手渡されたリーフレット「アレンネルソンの思い出」の表を飾るのは大阪の米澤俊氏作油絵<アレン像>の縮小写真版 ― 優しい口元のオシャレなアレンの視線の先には・・・?
進行役の子息ショーンさん(39歳)が、幼くして出会った育ての親アレンさんへの回想から始まりました。 遺族や友人が次々と立って、故人の人柄を偲びます。アレンさんがその一員であるクエーカーの集会形式に則るものでした。
実の娘ロビンさん(29歳)はエイズ研究でドクターコースを修了したばかりの、アレンさんによれば「勝気な」女性。病床を見舞うたびに泣きじゃくるばかりだったと聞いていましたが、この日は、「なすべきことを果たした父は今は安らかに眠る」と淡々と語りました。
その後私が指名されて、日本列島を平和行脚してくれたアレンさんへの感謝を伝え、最後に三宅信一氏の英文弔辞を読み上げました。
― 1997年、来日二年目に矢臼別基地訪問をした直後に出された「貴方の息子アレンより」という故人の手紙を引用した後、「君をわが家族の一員として迎えたことを誇りに思う」と結ばれていました。矢臼別はそれ以来、沖縄と共に故人の年毎の巡礼の二大聖地となりました。
最後の十五分間、真宗僧侶の佐野師の読経が鉦の音に和して会場に流れました。「一人ひとりが故人と向き合うひと時」でした。
第二部の舞台はアレンさんが入院直前の数週間を過ごしたマクダナフ通りの石造り三階建ての一階の部屋。苦痛のうめき声で「アネッタの休息を妨げたくない」と、自分のベッドだけを二階からここに移した「最期の闘い」の場でした。
ギタリスト、アレンの写真を正面に据え、日本から届けられていた千羽鶴や寄せ書き、お見舞い状、弔辞が周りの本棚や壁を飾り、ろうそく、線香などの仏式調度と共に厳粛な中にも出席の人たちの気持ちを和ませる空間がありました。
佐野、嬉野両氏がアネッタさんと相談しながら、前日までに準備したものでアネッタさんの説明を受けた遺族は感謝。読経する墨染めの佐野師の傍らに瞑想合掌する石橋上人の黄の衣がよきコントラストをなしていました。
こらえきれなくなって嗚咽するアネッタさんの背をショーンさんが優しく撫でてあげるシーンがあり、師は蓮如上人の「白骨の書」を読み上げました。15世紀の日本の仏教指導者が自らの娘と妻を失った直後に同じく別離の悲嘆にくれる人に宛てた手紙であるという説明に、頷く人も・・・。私は第一部で聞いたロビンさんの想いと重ねていました。
機会を得て、アレンさんに寄せる嬉野さんの思いを私から紹介、皆さん肯きながら聞いてくれました。因みに彼女は、海兵隊員ネルソン二等兵が駐留当時の沖縄に渡航、決死の報道を行った写真ジャーナリストで、30年後一人のアメリカ市民として沖縄に戻ってきたアレンさんの平和のメッセージに強く共感、十年来東京の自宅を提供して関東方面の講演に同行して来ました。
憂愁のハーモニカを追って、ギターに乗ったアレンさんのアメージンググレ-スの深い声が参列者を包み、アネッタさんの涙の謝辞で幕となりました。
追記1 当世話人会の呼びかけに応えて短期間に寄せられた募金その他、<アレン支援>のご協力に心から御礼申し上げます。アレンさんの想い、そしてアレンさんへの思いの広がりを改めて感じています。
2 世話人会を通じてアネッタさんのもとへ届けられた募金総額は84,243ドル(8,134,790円)です。「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」というアネッタさんの言葉をお伝えします。
今もネットワークの元に届けられている基金の残余の部分(300万円超)については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」との未亡人の思いをいかしたいと思います。
3 遺骨は生前のアレンさんの希望に基づいて日本に埋葬されることになりました。6月25日(木)来日のアネッタさんを迎えて、<偲ぶ会>を兼ねる<アレン納骨の儀式>を石川県加賀市の光闡坊(コウセンボウ=佐野氏住寺)で行います。
4 当世話人会はその日(6/25)をもって解散の予定です。
葬儀参列報告
葬儀は31日にニューヨーク市ブルックリンで行われました。日本人参加者は、28日急遽成田から飛んだ佐野明弘、嬉野京子と私の世話人三人及び、ニューヨーク在の比嘉良治氏(ロードアイランド大名誉教授)、石橋行受上人(日本山妙法寺)の合計五名でした。
式は二部に別れ、第一部は午後4時から5時までトロイ街のウッドワード葬儀会館で遺族、友人50名出席のもとに、第二部はその後親族中心の十人余の内輪の集いとして行われました。いずれの場にも故人の希望に基づく仏式の祈りが近代都市の一角に自然に溶け込んでいました。
第一部の式場で手渡されたリーフレット「アレンネルソンの思い出」の表を飾るのは大阪の米澤俊氏作油絵<アレン像>の縮小写真版 ― 優しい口元のオシャレなアレンの視線の先には・・・?
進行役の子息ショーンさん(39歳)が、幼くして出会った育ての親アレンさんへの回想から始まりました。 遺族や友人が次々と立って、故人の人柄を偲びます。アレンさんがその一員であるクエーカーの集会形式に則るものでした。
実の娘ロビンさん(29歳)はエイズ研究でドクターコースを修了したばかりの、アレンさんによれば「勝気な」女性。病床を見舞うたびに泣きじゃくるばかりだったと聞いていましたが、この日は、「なすべきことを果たした父は今は安らかに眠る」と淡々と語りました。
その後私が指名されて、日本列島を平和行脚してくれたアレンさんへの感謝を伝え、最後に三宅信一氏の英文弔辞を読み上げました。
― 1997年、来日二年目に矢臼別基地訪問をした直後に出された「貴方の息子アレンより」という故人の手紙を引用した後、「君をわが家族の一員として迎えたことを誇りに思う」と結ばれていました。矢臼別はそれ以来、沖縄と共に故人の年毎の巡礼の二大聖地となりました。
最後の十五分間、真宗僧侶の佐野師の読経が鉦の音に和して会場に流れました。「一人ひとりが故人と向き合うひと時」でした。
第二部の舞台はアレンさんが入院直前の数週間を過ごしたマクダナフ通りの石造り三階建ての一階の部屋。苦痛のうめき声で「アネッタの休息を妨げたくない」と、自分のベッドだけを二階からここに移した「最期の闘い」の場でした。
ギタリスト、アレンの写真を正面に据え、日本から届けられていた千羽鶴や寄せ書き、お見舞い状、弔辞が周りの本棚や壁を飾り、ろうそく、線香などの仏式調度と共に厳粛な中にも出席の人たちの気持ちを和ませる空間がありました。
佐野、嬉野両氏がアネッタさんと相談しながら、前日までに準備したものでアネッタさんの説明を受けた遺族は感謝。読経する墨染めの佐野師の傍らに瞑想合掌する石橋上人の黄の衣がよきコントラストをなしていました。
こらえきれなくなって嗚咽するアネッタさんの背をショーンさんが優しく撫でてあげるシーンがあり、師は蓮如上人の「白骨の書」を読み上げました。15世紀の日本の仏教指導者が自らの娘と妻を失った直後に同じく別離の悲嘆にくれる人に宛てた手紙であるという説明に、頷く人も・・・。私は第一部で聞いたロビンさんの想いと重ねていました。
機会を得て、アレンさんに寄せる嬉野さんの思いを私から紹介、皆さん肯きながら聞いてくれました。因みに彼女は、海兵隊員ネルソン二等兵が駐留当時の沖縄に渡航、決死の報道を行った写真ジャーナリストで、30年後一人のアメリカ市民として沖縄に戻ってきたアレンさんの平和のメッセージに強く共感、十年来東京の自宅を提供して関東方面の講演に同行して来ました。
憂愁のハーモニカを追って、ギターに乗ったアレンさんのアメージンググレ-スの深い声が参列者を包み、アネッタさんの涙の謝辞で幕となりました。
追記1 当世話人会の呼びかけに応えて短期間に寄せられた募金その他、<アレン支援>のご協力に心から御礼申し上げます。アレンさんの想い、そしてアレンさんへの思いの広がりを改めて感じています。
2 世話人会を通じてアネッタさんのもとへ届けられた募金総額は84,243ドル(8,134,790円)です。「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」というアネッタさんの言葉をお伝えします。
今もネットワークの元に届けられている基金の残余の部分(300万円超)については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」との未亡人の思いをいかしたいと思います。
3 遺骨は生前のアレンさんの希望に基づいて日本に埋葬されることになりました。6月25日(木)来日のアネッタさんを迎えて、<偲ぶ会>を兼ねる<アレン納骨の儀式>を石川県加賀市の光闡坊(コウセンボウ=佐野氏住寺)で行います。
4 当世話人会はその日(6/25)をもって解散の予定です。
お葬式
2009年04月04日
アレンさんのお葬式の報告が届きました。
アレンさんの葬儀は3月31日にしめやかに行なわれました。
葬儀に参加するため28日から訪米していた平塚さん、嬉野さん、そして葬儀を行なわれた佐野さんは4月2日に帰国されました。
葬儀場での法要には親族友人たちが50人ほど参列され、アレンさんはクエーカー教徒でしたので、クエーカー式の葬儀と、佐野さんが読経されました。
その後、自宅に移動し、改めて仏式の葬儀が執り行われました。
詳細なご報告はまた改めてさせていただきます。

葬儀場でスピーチする平塚さん
アレンさんの葬儀は3月31日にしめやかに行なわれました。
葬儀に参加するため28日から訪米していた平塚さん、嬉野さん、そして葬儀を行なわれた佐野さんは4月2日に帰国されました。
葬儀場での法要には親族友人たちが50人ほど参列され、アレンさんはクエーカー教徒でしたので、クエーカー式の葬儀と、佐野さんが読経されました。
その後、自宅に移動し、改めて仏式の葬儀が執り行われました。
詳細なご報告はまた改めてさせていただきます。
葬儀場でスピーチする平塚さん
お葬式への弔文・献花
2009年03月31日
アレン・ネルソン・ネットワークの関東世話人の大畑豊さんから、弔文・献花について連絡をいただきました。
急な連絡ですが、アレンさんのお葬式に弔文・献花をご希望される方は下記のようにお願いいたします。
まだ未定ではありますが、妻のアネッタさんがアレンさんの遺骨を佐野さんのお寺(石川県加賀市)に埋葬に6月ごろ来日される予定です。その折にも何かできたらと思っております。
◆弔文
英語の場合は直接ファックスで下記まで(国際電話、今晩8時まで)
001-010-1-718-855-9605ファックス専用
Rm122 Ms. URESHINO, Kyoko
【文例】
Deepest Condolence
May His Soul Rest Upon the Peace where he belongs. Allen has a Beautiful Soul. His voice and his guitar sound touched our heart aswell as his strong but compassionate speech. Thank you. Allen , Ourdear friends.
Many blessing
with Sympathy
名前 県、Japan
日本語の場合には短めにして、今日の夜6時までに大畑豊までメール、ファックスしてください。
◆献花の選択
・ベースの色の種類(選択してください。希望にそえないことあり)
白・黄色・緑・薄ピンク・紫・藍
・形式
下記のいずれか(選択してください)
生け花・バスケット・リース
花は下記サイトのような感じになります(この花屋に頼むわけではありませんが、参考に):
http://www.proflowers.com/funeral-flowers-fnr?ref=FGVSRCHgoogkwd_intlproflower_bSRB&pagesplit=SRB&catid=LandingSearch_Search
・メッセージは英語で2行まで(180字)。
・費用8500円 花代+諸経費、税、配達料を含む
・送金先:ゆうちょ銀行 10360-39968291口座名 「アレン・ネルソン基金」
ゆうちょ銀行以外からゆうちょ銀行へ振込みの際は
:【店名】〇三八(ゼロサンハチ)【店番】038 【預金種目】普通預金 【口座番号】3996829
必ずメール・電話・ファックスにて花代送金の旨、お知らせください。
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東
大畑 豊
TEL・Fax 048-473-6930
ohata-yu@jca.apc.org
急な連絡ですが、アレンさんのお葬式に弔文・献花をご希望される方は下記のようにお願いいたします。
まだ未定ではありますが、妻のアネッタさんがアレンさんの遺骨を佐野さんのお寺(石川県加賀市)に埋葬に6月ごろ来日される予定です。その折にも何かできたらと思っております。
◆弔文
英語の場合は直接ファックスで下記まで(国際電話、今晩8時まで)
001-010-1-718-855-9605ファックス専用
Rm122 Ms. URESHINO, Kyoko
【文例】
Deepest Condolence
May His Soul Rest Upon the Peace where he belongs. Allen has a Beautiful Soul. His voice and his guitar sound touched our heart aswell as his strong but compassionate speech. Thank you. Allen , Ourdear friends.
Many blessing
with Sympathy
名前 県、Japan
日本語の場合には短めにして、今日の夜6時までに大畑豊までメール、ファックスしてください。
◆献花の選択
・ベースの色の種類(選択してください。希望にそえないことあり)
白・黄色・緑・薄ピンク・紫・藍
・形式
下記のいずれか(選択してください)
生け花・バスケット・リース
花は下記サイトのような感じになります(この花屋に頼むわけではありませんが、参考に):
http://www.proflowers.com/funeral-flowers-fnr?ref=FGVSRCHgoogkwd_intlproflower_bSRB&pagesplit=SRB&catid=LandingSearch_Search
・メッセージは英語で2行まで(180字)。
・費用8500円 花代+諸経費、税、配達料を含む
・送金先:ゆうちょ銀行 10360-39968291口座名 「アレン・ネルソン基金」
ゆうちょ銀行以外からゆうちょ銀行へ振込みの際は
:【店名】〇三八(ゼロサンハチ)【店番】038 【預金種目】普通預金 【口座番号】3996829
必ずメール・電話・ファックスにて花代送金の旨、お知らせください。
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東
大畑 豊
TEL・Fax 048-473-6930
ohata-yu@jca.apc.org


