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てぃーだブログ › アレン・ネルソン基金沖縄の会

アレン・ネルソン奨学金の支給式

2010年02月06日

本日、2月5日にベトナムのクアンナム省で、アレン・ネルソン奨学金の支給式が行われました。
アレンさんが海兵隊員として駐留していたのがクアンナム省でした。

ベトナム青葉奨学会は、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(講談社)と、『戦場で心が壊れて』(新日本出版社)を出版社の承諾を得てベトナム語に翻訳し、要約して、ベトナムの人たちがアレンさんを理解できるようにと準備してくださいました。

支給式の様子など詳しくは、2月27日(土)の報告会で聞けると思いますが、ベトナム青葉奨学会のブログも随時ご覧ください。
http://aobaokinawa.ti-da.net/

明日2月6日と7日、那覇市の桜坂劇場で公開される映画「アメリカ 戦争する人々」(藤本幸久監督)にアレンさんが登場するとのこと。
上映時間が午前11時から494分(8時間以上!)あり、2回食事休憩があるそうです。
体力がもつのか少し心配ですが、楽しみにしています。
「そんなに長い時間は無理ー」という方は、ぜひ藤本監督の「ONE SHOT ONE KILL 〜兵士になるということ」をどうぞ。
こちらは108分です。
  

Posted by eiko2009 at 01:11Comments(0)TrackBack(0)

「アレン・ネルソン奨学金」発足報告会

2010年02月04日

アレン・ネルソン奨学金発足の報告会を、2月27日(土)午後6時から、那覇市NPO活動支援センターのミーティングルーム(てんぶす那覇3階)で行うことになりました。(アレン・ネルソン基金沖縄の会と青葉奨学会沖縄委員会の共催)。
アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東の大畑豊さんが詳しいお知らせを書いてくれました。

「アレン・ネルソン奨学金」発足報告会
        アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東  大畑 豊

ベトナムで自らが犯した過ちをまっすぐに見つめて、戦争の真実を語り続けたアレンさん。沖縄の基地の現状に胸を痛めて、米軍をアメリカ本土に呼び戻そうと奔走したアレンさん。
そのアレンさんが重い病に倒れたのは、2009年の初めのことでした。彼の回復を願い、多くの方が治療のためのお金を寄せてくれました。私たちは、そのお金を病床のアレンさんのもとに届けました。しかし、同年3月25日、彼は還らぬ人となりました。遺族の方々は、こう言いました。「残ったお金は、アレンの遺志を生かすために使ってください」

アレンさんは、最期までベトナムの人々のことを気にかけていました。話し合った結果、私たちは、このお金をベトナムの明日を担う子どもたちの奨学金として生かすことにしました。基金をベトナムの銀行に預け、その利子(年利約8%)を活用してアレンさんがかつて海兵隊員として駐留した、中部クアンナム省の農村部や山間部の子どもたちへの奨学金として役立てられます。この奨学金は「アレン・ネルソン奨学金」と名づけられます。アレンさんの本をベトナム語に翻訳して、小さな本もできました。

奨学金発足に至ったいきさつや、クアンナム省の子どもたちの様子について、報告会を行ないます。どなたでも参加できますので、どうぞお気軽にお越しください。

日 時:2月27日(土) 午後6時~8時
内 容:6時~ DVD「Allen Nelson ベトナムの記憶」上映予定    
     7時~ 「アレン・ネルソン奨学金」発足報告
会 場:那覇市NPO活動支援センター・ミーティングルーム(てんぶす那覇 3階)
参加費:300円(資料代込み)
主 催:アレン・ネルソン基金沖縄の会/ベトナム青葉奨学会沖縄委員会
連絡先:098-864-1539(すぺーす結)    
     080-2719-4720(村田)    
     メール: muraquang@ybb.ne.jp   

Posted by eiko2009 at 00:56Comments(0)TrackBack(0)活動報告

「アレン・ネルソン奨学金」の中間報告

2009年09月02日

ベトナム青葉奨学会沖縄委員会から、「アレン・ネルソン奨学金」開始に向けての中間報告が届いています。高里代表と村田事務局長は直接ベトナムを訪れ、現地代表と具体的な話し合いを進めてきてくださいました。

ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のブログ(http://aobaokinawa.ti-da.net/)からも、アレンさんの遺志を大切にするために努力してくださっていることが伝わってきます。とてもありがたく、うれしいです。
なお、全国のアレン・ネルソン基金もこの「アレン・ネルソン奨学金」に賛同し、約171万円を寄付してくださいました。

寄付のお礼と「アレン・ネルソン奨学金」中間報告

お世話になっております。ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局の村田です。 このたびは、多額の寄付を寄せていただき、本当にありがとうございます。
現在、アレン・ネルソン基金からは171万1440円を、アレン・ネルソン基金沖縄の会からは65万8761円をお預かりしています。

このほど、8月20日から23日まで、青葉奨学会沖縄委員会の高里鈴代代表と、事務局の私の2人でベトナム・ホーチミン市に行き、ベトナム青葉奨学会のグエン・ドゥック・ホーエ代表と、アレン・ネルソン基金の活用方法について意見交換をしてきました。
その結果、私たちが当初考えていたように、基金をベトナムの銀行に預け、その利子を活用してベトナムの貧困家庭の子どもたちに奨学金を支援しようということになりました。

現在の年利は8パーセント程度なので、仮に250万円を預けたとすると、利率が変わらなければ毎年20万円ほどの利子を活用することができます。この奨学金は、一人当たり年額1500円あまりなので、100名以上を支援することが可能です。
(一人当たりの金額が少なすぎるのでは、と質問しましたが、現金収入がほとんどない山間部などでは、この金額は生徒の向学心を励ますには大きな意味がある、ということでした。)

奨学金の名前は「アレン・ネルソン奨学金」とし、支援地域は、1966年から67年にかけてアレン・ネルソンさんが駐留していたベトナム中部クアンナム省タムキー周辺の山間部・農村部を対象にしようということになりました。

ホーエ代表が9月に中部のダナンに出張するので、そのさいにクアンナム省に足を伸ばして、現地の教育関係者と奨学金について話し合いをしてきて下さるそうです。
ホーエ代表には、アレン・ネルソンさんの本「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」「戦場で心が壊れて」「そのとき赤ん坊が私の手の中に」「沖縄に基地はいらない」を2冊ずつ、またベトナムの新聞「Tien Phong」に載ったネルソンさんの記事(ピースボートでダナンを再訪したときの記事。あまり正確な記事ではないのですが…)をお渡しし、私たちが基金を託されることになった経緯を説明してきました。

今後、もし可能であれば、アレン・ネルソンさんの本の一部などをベトナム語に翻訳して、ネルソンさんについてベトナムの方々に伝えていきたいと思っています。
また、奨学金発足のさいには、子どもたちとの交流も兼ねて「アレン・ネルソンさんの足跡をたどる旅」といったスタディーツアーも企画してみたいと考えています。

正式な決定は、ホーエ代表とクアンナム省の方々との話し合いの後になりますが、「アレン・ネルソン奨学金」の発足に向けて、とりあえず一歩進んだ形になると思います。
今後、また何か動きがありましたら、ご報告します。疑問の点や、ご要望などがありましたら、いつでもお知らせ下さい。では、今後ともよろしくお願いいたします。

           ベトナム青葉奨学会沖縄委員会事務局長 村田光司   

Posted by eiko2009 at 01:39Comments(0)TrackBack(0)

アレン納骨式・偲ぶ会の報告

2009年07月14日

平塚淳次郎さん(アレン・ネルソン ネットワーク世話人会代表)からの報告です。   
・・・・・・・・・・・・・・ご縁の皆様に<アレン納骨式><偲ぶ会>報告(090709)                  

                     AN救援基金 世話人代表 平塚淳次郎

二週間経過しました。御礼と報告が遅れたことをおゆるしください。  
石川県加賀市はずれの光闡坊は、真宗中興の祖、蓮如上人建立の寺跡に立つ古刹。上人の大きな立像が目立つ以外は寺院通例の土塀や墓石とてない緑滴る境内の奥に質素な本堂が佇みます。その昔武家権力の介入により分裂した本願寺の東西のいずれにも属さない稀有の存在として孤高を保持するとか。
雨漏りのする荒れ寺に、十余年前に住み込んで、今親鸞を説きながら全国行脚をする佐野明弘師の「根城」。そして今「釈阿蓮」の永久の棲家となりました。  

当日の謝辞を、日本国憲法第九条の朗読で始めることによって参列者を感動させたアネッタ夫人は、光闡坊納骨のいきさつを語りました。「アレンは、もし自分があとに遺ったら、わが心の師、佐野さんの傍で暮らしたいと語っていました。今回の来日は彼の遺志を生かす当然の務めでした。」   

アレンと佐野師の初の出会いは04年5月30日、師自身の企画した当地の<アレン講演会>でした。以後急速に深まるご両者の心の交流の一端を物語るエピソードを師自身に語ってもらいましょう。  

<・・・今沖縄の辺野古に米軍の基地が作られようとしている・・・それに反対して・・・アレンさんも抗議行動をしていました。ところが海上保安庁の大きな船が、皆の乗っている小さい舟の前で、スピードを出してギュッと曲がる・・・すごく高い波が襲ってきて・・・お年寄も皆命がけなのです。
アレンさんは怒りの心が起こってきて「あいつらを殺してやりたい」と思ったというのです。

「人には非暴力を説いて、そして自分自身もたくさんの人を殺して、そのことに死ぬほど苦しんできた。にもかかわらず、まだ自分の中から暴力が消えていない。どうしたらいいのだろう。」

これには困りました。私自身が浅い経験しかない。彼の深い問いに応える言葉がない。二十分ぐらい黙っていました。しかし、彼はずっと待っているのですね。(私が)最後に一言言ったのは「そうやって苦しんでいるあなたを信頼しているのです。あなたがそうやって苦しんでいる、そのことを信頼しています。」
(アレンさんは)「自分の求めている答えとは全く違うけれども、大切なことを聞いたようにおもいます」というようなことをおっしゃっていました。>
          (以上「名古屋別院フォーラム人権連続講座講義録」より)  

6月25日午後。本堂は170名の参列者であふれました。
<仕事が休めずに残念>というお断りをいただいた人たちを含む全国何千何万のアレンを悼む人たちの想いを代表した人たちの集いでした。  

午後一時佐野師のつく鉦の音で開式が告げられ、20名近い僧侶の荘重な読経が響く中、アネッタ夫人、アレン令妹マーシェラを先頭に参列者それぞれの思いのこもった焼香が続きました。
佐野師による蓮如上人「白骨の書」の清澄な朗読。そして「my father」三宅信一氏の弔辞-アレン十余年の足跡を辿る慈愛に満ちた回想-が第一部を締めくくりました。
 「キリスト教牧師の身で、アネッタさんに仏式焼香の作法を伝授しました」と語る、札幌山本光一師の人柄のにじむ司会が5時半まで続く<偲ぶ会>の座を和ませてくれました。  

世話人の皆様の取り組み,寄せられた諸氏の弔辞,心のこもる会場でのご発言,通訳のご苦労,地元あるいはお寺関係者による準備から事後処理まで、感謝は尽きません。その中から敢えて登場願います。

アレン来日の仕掛け人、宜野座映子さんは十三年前、彼女の教室で「一回だけだよ」と重い口を開いてくれた戦場体験の本邦語り初めと、以後毎年欠かさぬ、そして昨秋は「来年もきっと」と念をおしたアレンと沖縄との絆を、いつに変わらぬ「九条最前線」の心そのままに伝えてくれました。

奉納演奏の若き堀越大二郎さん。故人に対する十年の敬慕と惜別の入魂のジャンベでした。アメリカからのお客様は皆踊り出さんばかり、最後は控えめな日本人も総立ちの拍手。“I’m happy here.”と笑顔のアレンが登場しそうな幕引きでした。

 「アレンが蒔いた種の芽生え」(長野代表の言葉)は他にも集いの各所に見られました-納骨式の勤行に居並ぶ若き仏僧たち、大学キャンパス内の大講演会の取り組みを語った藤澤千夏さん、永らく通訳として各地でアレンの心を伝え当日も通訳団の中で優しい気配りをしてくれた中村みずきさん、そして太平洋の向うから駆けつけてくれたイラク帰還兵アッシュウールソン夫妻と通訳の相ケ瀬茜さん‥などなどの熱きハートにわが心も晴れやかに。

 「アレン基金」残余分を、「ベトナム枯葉剤被害者への救援に充てる」課題をあとに残しました。その「執行及び報告」を以って世話人会の解散とさせていただきます。  
改めて故アレンネルソン氏に対して、そして彼の活動を支えていただいた全ての人々に感謝!  

Posted by eiko2009 at 09:00Comments(0)TrackBack(0)

平和の足跡 思いはせ

2009年07月03日

アレンさん偲ぶ会 沖縄

3月に多発性骨髄腫で亡くなった、米国の反戦活動家アレン・ネルソンさん=享年61歳=を偲ぶ会が2日、沖縄市安慶田のくすぬち平和文化館で開かれた。生前に親交のあった約20人が集い、平和を希求し続けたアレンさんの足跡を振り返った。

会はアレン・ネルソン基金沖縄(宜野座映子代表)が主催。参加者はそれぞれアレンさんへの思いを語った。沖縄キリスト教学院大学聴講生の宮里さん(注)は「元軍人の、基地や軍隊に対する批判や真実を聞き衝撃を受けた。思いを受け継ぎたい」と話した。

米国から訪れた、アレンさんの妹のマーシェラ・フィリプスさんは「兄の死はとてもつらいが、沖縄の若い世代が遺志を継いでいることに感謝したい」と声を詰まらせた。

宜野座さんは「アレンさんはいつも『沖縄に基地があっていいのか』と問いかけていた。思いをしっかり受け止めて頑張っていきたい」と強調した。

同会では病気の治療費支援のために募った寄付金65万円余を、ベトナムへの奨学金として活用することを決定。ベトナム青葉奨学会沖縄委員会の高里鈴代代表に手渡した。

*沖縄タイムス・2009年7月3日付掲載


偲ぶ会会場にてマーシェラさん・マーシャルさん夫妻と  

Posted by eiko2009 at 23:53Comments(0)TrackBack(0)

活動報告とお礼

2009年07月03日

*7月2日に沖縄市のくすぬち平和文化館にて「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行いました。後ほど、その様子を報告しますが、当日配布した活動報告を掲載します。

元海兵隊員のアレン・ネルソンさんは、1995年の少女暴行事件に大きな衝撃を受け来沖されました。自らの体験に基づいて、戦争の真実を話し続け、13年間で沖縄・日本各地で2000回を超える講演活動を行ってこられました。

そのアレン・ネルソンさんが、今年1月、「多発性骨髄腫」というガンに侵されていることが判明しました。血液と骨髄の中でガン細胞が増殖する深刻な病気です。ベトナムで米軍がジャングルを枯らすために散布した枯葉剤との関連が疑われています。アメリカには国民健康保険制度がなく、ガンの治療には莫大な費用がかかることが予想されました。

そこで、私たちは「アレン・ネルソン基金沖縄」は2009年2月6日に結成し、沖縄からアレンさんの治療と活動を支えるため、募金活動を始めました。アレンさんの病状と基金の活動を新聞・テレビなどのマスメディアで紹介していただくとともに、インターネットのブログ、平和集会などでも呼びかけを行いました。

それにより、多数の方々から温かいご支援が寄せられ、募金総額は3月26日までに総額1,358,761円と25セントにのぼりました。

そのうち70万円(正確にはドルに交換のため699,660円)は3月8日に、宜野座映子が訪米し、アレンさんに直接手渡すことができました。大阪や東京など各地の募金と合わせると、この時点でアレンさんに届けられた募金は700万円を超えました。13年間にわたり、身を削って戦争の真実を伝えてくれたアレンさんに、日本中から送られた感謝のしるしでした。

募金やメッセージを受け取ったアレンさんは驚き、涙を流しました。こうして高額な医療費への不安を取りのぞき、アレンさんに安心して治療を受けてもらうことができたのです。

しかし、活動を続ける私たちのもとに、悲しい報せが届きました。3月25日水曜日の午後10時19分にアレンさんが亡くなったのです。激しい痛みに苦しめられた闘病生活でしたが、最後は安らかで、妻のアネッタさんが手を握る中、息を引き取ったとのことでした。

翌日の26日に訃報を受けた「アレン・ネルソン基金沖縄」事務局は募金活動を停止し、翌3月27日に銀行口座を閉鎖しました。そのため、募金をご準備くださっていた方々にはご迷惑をおかけしました。

3月31日にニューヨークで行われた葬儀に参列した、平塚淳次郎氏(全国世話人会代表)が、妻のアネッタさんから「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」、残金については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」というメッセージを受け取りました。

そこで、「アレン・ネルソン基金沖縄」に残された658,761円と25セントについては、事務局で議論し、ベトナム戦争で枯葉剤がまかれた地域の一つであるカンザー郡の子どもたちへの奨学金「アレン・ネルソン奨学金」として活用することになりました。

それがアレンさんの遺志に沿い、募金をお寄せくださった方々にもご納得いただけるのではないかと考えています。本日は、ベトナムにある青葉奨学会を支援している青葉奨学会沖縄委員会の代表を招き、寄付金を贈呈します。

これをもちまして、「アレン・ネルソン基金沖縄」は解散いたします。ただし、「アレン・ネルソン奨学金」についての続報、その他アレン・ネルソンさんに関する取り組みや情報があれば、このブログにて紹介していきます。

最後になりましたが、アレンさんの回復を祈り、「アレン・ネルソン基金沖縄」にご支援をお寄せくださった皆様に、深くお礼申し上げます。

2009年7月2日
             アレン・ネルソン基金沖縄 代表 宜野座映子
  

Posted by eiko2009 at 20:58Comments(0)TrackBack(0)

ネルソンさんを偲ぶ会

2009年07月01日



ベトナム帰還兵として平和と憲法9条の大切さを訴えてきたアレン・ネルソンさんが亡くなって3カ月。
私は6月25日に石川県で行われた納骨式と偲(しの)ぶ会に参加してきた。  

式には彼の家族・友人8人をはじめ160人余りが参加し、宗教や人種を超えて「平和の遺志」を継ぐ決意を新たにした。  
クエーカー教徒(キリスト教の一派)のアレンさんが仏教徒である佐野明弘住職に納骨を託したのは、私たちがニューヨークに募金を届けたときのことだ。

「人間は罪を抱えて生まれてきている。罪を'懺悔(ざんげ)することの大切さを思います」という佐野氏に、アレンさんはこう言った。

「その通りです。ベトナムの防空壕で出産した女性のおなかから初めに出てきたのは水でした。人の命は水とともに生まれる。その水は、涙という懺悔の水に深くつながっています。罪を認める懺悔の涙は真実につながっており、それが人を解放するのです」と。  

真実こそが人間を解放すると信じ、最後まで語ることをやめなかったアレンさん。その言葉に、私は魂を揺さぶられ、涙が止まらなかった。  

妹のマーシェラさんを迎え、平和への思いを分かち合う場として、「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を2日午後7時から沖縄市くすぬち平和文化館=電話098(938)4192=で、行います。
皆さまのこ参加を呼びかけます。資料代一般500円。 (宜野座映子、アレン・ネルソン基金沖縄の会代表)

*2009年7月1日付沖縄タイムス掲載  

Posted by eiko2009 at 16:37Comments(0)TrackBack(0)

「偲ぶ会」の日程変更

2009年06月25日

以前のブログに、訂正の形で掲載していますが、念のため「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」の日程変更をお知らせします。
改めてのお知らせが遅くなったことをお詫びします。

アレン・ネルソン基金・沖縄の会では、石川県でアレンさんの<納骨の儀式>と偲ぶ会当日の6月25日(木)に、「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を予定していました。
しかし、アレンさんの妹・マーチェラさんご夫妻が来沖することになりましたので、日程を変更し、ご夫妻に出席していただくことになりました。
マーチェラさんは、アレンさんが大好きだった沖縄を訪ねてみたいと希望されたのです。
以下、変更後の日程です。

日時 2009年7月2日(木)19:00~20:30
会場 くすぬち平和文化館 
    (℡ 098-938-4192/沖縄市安慶田1丁目29番10号)

アレンさんを直接知る方も、本などで出会った方も、アレンさんへの思いと平和を語り合う場にしたいと思います。

また、アレン・ネルソン基金の残金(658,761円と25セント)の取り扱いについて、沖縄の会事務局で話し合いました。
その結果、ベトナム青葉奨学会沖縄委員会を通じて「アレン・ネルソン奨学金」を設立し、ベトナムの貧困家庭の子どもたちの支援を行うことになりました。
つきましては、「偲ぶ会」の場でベトナム青葉奨学会沖縄委員会に来ていただき残金を託し、マスコミに公表する予定です。

沖縄の会代表の宜野座映子さんも、本日石川県で行われた「偲ぶ会」に参列しました。後日、その様子をご報告します。
  

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アレン・ネルソンさんの死

2009年04月30日

 アレン・ネルソンさんが死んだ。極度の体調悪化から、もう来沖は二度とないかもしれないという周りの予想を裏切って近年、彼は何度も沖縄に足を運んだ。まるで迫りくる死期の予感を振り切るように。しかし彼の身体は、ベトナムで浴びた枯葉剤の影響と思われる白血病で、確実に蝕まれていた。

 あからさまな差別が横行するアメリカの貧しい家庭に生まれ、暴力で荒むニューヨークのスラムに育ち、母親の反対を押し切り18歳で海兵隊に入隊したネルソンさん。金と名誉と男としての力強さを象徴する海兵隊の制服に、彼は困窮した生活からの脱出と、黒人差別で完全否定された人間としての尊厳回復を夢見たのだった。

 しかし入隊するや否や、彼は殺人兵器として心身ともに改造され、ベトナム人を殺すに値する虫けらとして信じるよう洗脳される。そしてベトナムのジャングルで彼を待っていたものは、殺戮、収奪、破壊、蛮行。暴力の限りを尽くしたその惨劇は、彼に残されていた一滴の人間性をも枯らしてしまいそうなほどだった。

 除隊後、故郷に戻るも軍隊でのおこないを母親にとがめられ「もう私の子じゃない」と拒絶される。ベトナムでの悪夢に毎晩苦しめられ、家を追い出されて、23歳でホームレスとなる。心的外傷後ストレス障害を負った彼は、圧し掛かる罪悪感に潰されながら深い孤独へと落ちていったのだった。かつて彼が輝く軍服に託した夢は、ことごとく裏切られた。人種差別と貧困で既に傷ついていた自己への尊厳は、無残にも砕け散り、跡形もなくなっていた。

 そんな彼にベトナムでの戦争体験を、子ども達へ語ってくれと迫った高校の同級生との再会。彼女が教師を勤める小学校で、彼は運命の質問を突きつけられる。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」。地獄の奈落へと叩き落され、泣き崩れる彼を子ども達は涙で抱擁した。「かわいそうなネルソンさん」。その赦しの言葉と子ども達の温もりに救われた彼は、戦争体験を次世代に伝える使命を感じる。粉々になった人間性と自己の尊厳を、一つひとつ拾い集めながら。

 「何度話しても、辛いもんだよ」。講演会後にビールを飲みながら充血した目を潤ませていたネルソンさん。「でも、この使命があるから生かされているのだと思う」。医者からは止められているはずのタバコを吸っては咳き込みながら、そう語っていた。かつての奴隷船船長が、贖罪の念を込めて作り、その後黒人霊歌として歌い継がれてきた「アメイジング・グレイス」を、ネルソンさんは好んで歌った。清らかなゴスペルの響きではなく、すすり泣くようなハーモニカの声と、一人淋しく歩くようなギターのノート。心の闇を抱えたまま一人過去と対峙し、魂を絞るように吐き出すブルースの音色は、絶望ではなく立ち向かう勇気を感じさせた。

 最後の訪沖となった昨年10月、ネルソンさんは今までの講演会形式ではなく、小さな集まりの会を、学生たちのために持ってくれた。たまたまそこにあったギターを手にとって、私も飛び入りした。咽ぶような彼の声に、共感のリフで応える。ネルソンさんと共演したのは、これが最初で最後だった。この日も、彼の通訳をしたが、ネルソンさんの話には深いビートがあった。その言葉は私の魂を震わせ高揚させる。そして何度も何度も、彼の平和への祈りは、私の心のなかで激しい共鳴を生み続け、私はその響きに自分の祈りを重ねた。

 最近、米兵と結婚して出産した学生に、彼は父親のようにこう話しかけた。「心配になったら、いつでも連絡しなさい。早く除隊するように説得するから」。不安に涙する彼女の手を握りながら。学生一人ひとりに真剣に話しかけ、激しく咳き込みながらも、まるで命を削るかのように、彼のメッセージを伝え続けた。「軍事基地がある限り、沖縄の若者に未来はない」。

 ネルソンさんが初めて来沖したのは、1995年の「少女暴行事件」がきっかけだった。ちょうどその頃、沖縄からのキャラバン隊が、米軍基地被害を訴えてアメリカ各地を行脚していた。しかし軍人の結婚相手が県人会メンバーの多数を占める地域では、キャラバン隊と受け入れ側の間に深い溝があった。米軍を糾弾する沖縄代表。その告発に激しく反論する元沖縄駐在の退役軍人。その狭間で震えながら目を伏せる結婚相手の沖縄女性たち。

 軍事基地の存在は、この島にいくつもの分断線を引いていった。世代が、地域が、家族までもがその政治に巻き込まれて引き裂かれてきた。ネルソンさんは、私たちと米兵という最も険しい分断線に、その身を横たえた。ひとりの人間として。「よき隣人政策」などというマヤカシではなく、真の隣人として。

彼がその命燃え尽きるまで突き通したことは、自らの弱さや過ちに背を向けることなく、差別や抑圧を受けている人々と連帯して、社会を変革しようとする生き方だ。私たちもまた、悔い改め勇気を持って行動しなければならない。ネルソンさんの平和への思いは、夢は、まだ死んでいない。

                  新垣誠(沖縄キリスト教学院大学准教授)

*2009年4月27日付沖縄タイムス掲載。  

Posted by eiko2009 at 01:42Comments(0)TrackBack(0)

偲ぶ会について

2009年04月23日

先日、事務局会議を行いました。
アレンさんの妻・アネッタさんから「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」、残金については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」というメッセージを、平塚淳次郎さん(アレン・ネルソン ネットワーク世話人会代表)を通じて受け取ったことを確認しました。

アレン・ネルソン基金・沖縄の会には、3月26日までに総額1,358,761円と25セントの募金をお寄せいただきました。
事務局の判断で、3月27日に急きょ銀行口座を閉鎖したため、募金をご準備くださった方々にご迷惑をおかけしました。
募金の70万円は3月8日にアレンさんに届けています。したがって、658,761円と25セントが残っています。
事務局では、ベトナムの枯葉剤被害者の支援のために送金するという案が出ています。それがアレンさんの遺志に沿い、募金をお寄せくださった方々にもご納得いただけるのではないかと考えています。
もし他によいアイディアがおありでしたら、ぜひお知らせいただきたいと思います。

アネッタさんが来日し、6月25日(木)、石川県加賀市の光闡坊(コウセンボウ)で、アレンさんの<納骨の儀式>と偲ぶ会が行われます。
それに合わせて沖縄でも同じ日に、「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行うことになりました。
日時 2009年6月25日(木) →7月2日(木)に変更します。
会場 くすぬち平和文化館 (℡ 098-938-4192/沖縄安慶田1丁目29番10号)
アレンさんを直接知る方も、本などで出会った方も、皆様とご一緒に、アレンさんとへの思いと平和を語り合う場にしたいと思います。

*アレンさんの妹・マーチェラさんご夫妻が来沖することになりました。アレンさんが大好きだった沖縄を訪ねてみたいと希望されたのです。そこで、7月2日(木)に「アレン・ネルソンさんを偲ぶ会」を行うことになりました。会場に変更はありません。  

Posted by eiko2009 at 21:35Comments(0)TrackBack(0)その他

お葬式の報告

2009年04月08日

アレンさんの葬儀に参列した平塚淳次郎さん(アレン・ネルソン ネットワーク世話人会代表)からの報告です。

葬儀参列報告

 葬儀は31日にニューヨーク市ブルックリンで行われました。日本人参加者は、28日急遽成田から飛んだ佐野明弘、嬉野京子と私の世話人三人及び、ニューヨーク在の比嘉良治氏(ロードアイランド大名誉教授)、石橋行受上人(日本山妙法寺)の合計五名でした。

 式は二部に別れ、第一部は午後4時から5時までトロイ街のウッドワード葬儀会館で遺族、友人50名出席のもとに、第二部はその後親族中心の十人余の内輪の集いとして行われました。いずれの場にも故人の希望に基づく仏式の祈りが近代都市の一角に自然に溶け込んでいました。
 第一部の式場で手渡されたリーフレット「アレンネルソンの思い出」の表を飾るのは大阪の米澤俊氏作油絵<アレン像>の縮小写真版 ― 優しい口元のオシャレなアレンの視線の先には・・・?

 進行役の子息ショーンさん(39歳)が、幼くして出会った育ての親アレンさんへの回想から始まりました。 遺族や友人が次々と立って、故人の人柄を偲びます。アレンさんがその一員であるクエーカーの集会形式に則るものでした。
 実の娘ロビンさん(29歳)はエイズ研究でドクターコースを修了したばかりの、アレンさんによれば「勝気な」女性。病床を見舞うたびに泣きじゃくるばかりだったと聞いていましたが、この日は、「なすべきことを果たした父は今は安らかに眠る」と淡々と語りました。

 その後私が指名されて、日本列島を平和行脚してくれたアレンさんへの感謝を伝え、最後に三宅信一氏の英文弔辞を読み上げました。
 ― 1997年、来日二年目に矢臼別基地訪問をした直後に出された「貴方の息子アレンより」という故人の手紙を引用した後、「君をわが家族の一員として迎えたことを誇りに思う」と結ばれていました。矢臼別はそれ以来、沖縄と共に故人の年毎の巡礼の二大聖地となりました。
 最後の十五分間、真宗僧侶の佐野師の読経が鉦の音に和して会場に流れました。「一人ひとりが故人と向き合うひと時」でした。

 第二部の舞台はアレンさんが入院直前の数週間を過ごしたマクダナフ通りの石造り三階建ての一階の部屋。苦痛のうめき声で「アネッタの休息を妨げたくない」と、自分のベッドだけを二階からここに移した「最期の闘い」の場でした。
 ギタリスト、アレンの写真を正面に据え、日本から届けられていた千羽鶴や寄せ書き、お見舞い状、弔辞が周りの本棚や壁を飾り、ろうそく、線香などの仏式調度と共に厳粛な中にも出席の人たちの気持ちを和ませる空間がありました。
 佐野、嬉野両氏がアネッタさんと相談しながら、前日までに準備したものでアネッタさんの説明を受けた遺族は感謝。読経する墨染めの佐野師の傍らに瞑想合掌する石橋上人の黄の衣がよきコントラストをなしていました。

 こらえきれなくなって嗚咽するアネッタさんの背をショーンさんが優しく撫でてあげるシーンがあり、師は蓮如上人の「白骨の書」を読み上げました。15世紀の日本の仏教指導者が自らの娘と妻を失った直後に同じく別離の悲嘆にくれる人に宛てた手紙であるという説明に、頷く人も・・・。私は第一部で聞いたロビンさんの想いと重ねていました。
 機会を得て、アレンさんに寄せる嬉野さんの思いを私から紹介、皆さん肯きながら聞いてくれました。因みに彼女は、海兵隊員ネルソン二等兵が駐留当時の沖縄に渡航、決死の報道を行った写真ジャーナリストで、30年後一人のアメリカ市民として沖縄に戻ってきたアレンさんの平和のメッセージに強く共感、十年来東京の自宅を提供して関東方面の講演に同行して来ました。
 憂愁のハーモニカを追って、ギターに乗ったアレンさんのアメージンググレ-スの深い声が参列者を包み、アネッタさんの涙の謝辞で幕となりました。

 追記1 当世話人会の呼びかけに応えて短期間に寄せられた募金その他、<アレン支援>のご協力に心から御礼申し上げます。アレンさんの想い、そしてアレンさんへの思いの広がりを改めて感じています。
 2 世話人会を通じてアネッタさんのもとへ届けられた募金総額は84,243ドル(8,134,790円)です。「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」というアネッタさんの言葉をお伝えします。
 今もネットワークの元に届けられている基金の残余の部分(300万円超)については「アレンの遺志に沿った形で活用してください」との未亡人の思いをいかしたいと思います。
  3 遺骨は生前のアレンさんの希望に基づいて日本に埋葬されることになりました。6月25日(木)来日のアネッタさんを迎えて、<偲ぶ会>を兼ねる<アレン納骨の儀式>を石川県加賀市の光闡坊(コウセンボウ=佐野氏住寺)で行います。
  4 当世話人会はその日(6/25)をもって解散の予定です。  
  

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お葬式

2009年04月04日

アレンさんのお葬式の報告が届きました。

アレンさんの葬儀は3月31日にしめやかに行なわれました。
葬儀に参加するため28日から訪米していた平塚さん、嬉野さん、そして葬儀を行なわれた佐野さんは4月2日に帰国されました。
葬儀場での法要には親族友人たちが50人ほど参列され、アレンさんはクエーカー教徒でしたので、クエーカー式の葬儀と、佐野さんが読経されました。
その後、自宅に移動し、改めて仏式の葬儀が執り行われました。

詳細なご報告はまた改めてさせていただきます。


葬儀場でスピーチする平塚さん  

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お葬式への弔文・献花

2009年03月31日

アレン・ネルソン・ネットワークの関東世話人の大畑豊さんから、弔文・献花について連絡をいただきました。

急な連絡ですが、アレンさんのお葬式に弔文・献花をご希望される方は下記のようにお願いいたします。

まだ未定ではありますが、妻のアネッタさんがアレンさんの遺骨を佐野さんのお寺(石川県加賀市)に埋葬に6月ごろ来日される予定です。その折にも何かできたらと思っております。

◆弔文
英語の場合は直接ファックスで下記まで(国際電話、今晩8時まで)
001-010-1-718-855-9605ファックス専用
Rm122 Ms. URESHINO, Kyoko
【文例】
Deepest Condolence
May His Soul Rest Upon the Peace where he belongs. Allen has a Beautiful Soul. His voice and his guitar sound touched our heart aswell as his strong but compassionate speech. Thank you. Allen , Ourdear friends.
Many blessing
with Sympathy

名前 県、Japan

日本語の場合には短めにして、今日の夜6時までに大畑豊までメール、ファックスしてください。

◆献花の選択
・ベースの色の種類(選択してください。希望にそえないことあり)
白・黄色・緑・薄ピンク・紫・藍
・形式 
下記のいずれか(選択してください)
生け花・バスケット・リース

花は下記サイトのような感じになります(この花屋に頼むわけではありませんが、参考に):
http://www.proflowers.com/funeral-flowers-fnr?ref=FGVSRCHgoogkwd_intlproflower_bSRB&pagesplit=SRB&catid=LandingSearch_Search

・メッセージは英語で2行まで(180字)。
・費用8500円  花代+諸経費、税、配達料を含む

・送金先:ゆうちょ銀行  10360-39968291口座名 「アレン・ネルソン基金」
ゆうちょ銀行以外からゆうちょ銀行へ振込みの際は
  :【店名】〇三八(ゼロサンハチ)【店番】038 【預金種目】普通預金 【口座番号】3996829
  必ずメール・電話・ファックスにて花代送金の旨、お知らせください。

アレン・ネルソン ネットワーク世話人・関東
大畑 豊
TEL・Fax 048-473-6930
ohata-yu@jca.apc.org   

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最期の様子

2009年03月31日

アレンさんの最期の様子をお伝えします。
いつもメールを翻訳してくださる川村久美子さんとの電話で、アネッタさんがいろいろ話してくださったそうです。


とても思いやりのあるいい医師が担当してくれてよかった。
とにかく尋常な痛がり方ではなかったので、息を引き取って、痛みから解放されて、楽になってよかったと感じています。
今は静かになり、私も話すゆとりができました。

息が苦しくなって喘ぎはじめ、モルヒネと酸素吸入が繰り返されました。 
あえぐアレンが私の肩や腕を必死でつかんでいました。

夜8時ごろになり、なぜか聖書を読もうと思い立ち、あたりに聞こえるのもかまわず、大きな声で聖書を読んでは、賛美歌を歌いました。
ずっと繰り返していると同じ病棟の人が「ああ、なんだか落ち着いて静かになったね」と。
あえぐアレンのそばで「だいじょうぶ」「Thank you Lord」(神様ありがとうございます)、「いってもだいじょうぶだから」と語りかけました。

午後10時19分、息が静かになり、止まりました。

3時間自宅で仮眠をとったのちに再び呼び出されてから、12時間後でした。
こんなふうに祈りながら看取ることができたこと自体が、ひとつの恵みだと思っています。

アネッタ


(翻訳:川村久美子)   

お葬式の予定

2009年03月30日



アレンさんのお葬式は、3月31日午後4時からニューヨーク市ブルックリンの葬儀社で行われます。
前回、宜野座さんと同行した平塚さんと嬉野さん、佐野さんが参列の予定です。
3人が帰国したら、お葬式の様子を報告してもらえると思います。

アレンさんへのメッセージ、追悼の言葉を送ってくださった皆様、ありがとうございました。
  

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皆さまのご支援に感謝いたします

2009年03月29日

3月26日までの募金総額は、1,358,761円と25セントになりました。
アレンさんへの皆さまの温かいご支援に深く感謝いたしております。これまで本当にありがとうございました。
これからもアレンさんの思いを継ぎ、平和と非暴力の運動を広げるためにご協力をお願いします。

3月26日には、「ベトナムと沖縄~文化と平和の夕べ」参加者の皆さまから96,240円と25セントをご寄付いただきました。
ベトナムの枯葉剤被害者を支えるグエン・ティ・フォン・タン医師と戦場カメラマンの石川文洋さんの講演によって、直接枯葉剤を浴びた第一世代だけでなく、流産あるいは障がいを持って生まれた第二世代、第三世代、第四世代…と、今も枯葉剤の被害が続いていることを知りました。
枯葉剤の恐怖が迫ってくる一方で、病院スタッフとして働くグエン・ドクさんの姿に力強さを感じました。
多大なるご協力をいただいた参加者と実行委員会の皆様方にお礼申し上げます。

なお当然のことながら、募金活動は終了させていただきます。
3月27日に銀行口座を閉鎖いたしました。
アレンさんへの未送金分(約65万円)の取り扱いについては、追ってご報告させていただきます。

今後、アレンさんの葬儀などについてもお伝えする予定です。

  

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追悼 アレン・ネルソンさん

2009年03月28日

今日(3月28日)の沖縄タイムスに、代表の宜野座映子さんが追悼文を寄せています。
なお、昨日(3月27日)は沖縄タイムス、琉球新報の両紙がアレンさんの訃報を掲載しました。

追悼 アレン・ネルソンさん

 大切な友人、ベトナム戦争従軍元海兵隊員のアレン・ネルソンさんが亡くなった。
 訃報は、26日読谷村で行われた「ベトナムと沖縄~文化と平和の夕べ~」の会場に届いた。会場でアレンへの支援を呼び掛けたところ、参加者の温かい思いが伝わり胸がいっぱいになった直後のことだった。アレンのパートナー、アネッタさんは、「つらい闘病でしたが、最後は安らかで、私が手を握る中、息を引き取った」と知らせてくれた。
 2月に活動を始めた「アレン・ネルソン基金・沖縄の会」には、26日までに130万円余の募金が寄せられた。3月8日にはそのうち70万円をニューヨークの彼の自宅に届けたばかり。多額の募金にアレンは驚き涙した。これは13年間にわたり、身を削って戦争の真実を伝えてくれたアレンへの感謝のしるしなのだ。
 今、私の耳にアレンの声が聞こえる。「僕は決して語ることを止めないよ。だって、戦場に行った仲間は全員死んだんだ。生き残った僕は戦争の悲惨さを話さなければ。もし、一人でも僕に戦争の真実を話してくれていたなら、僕はどんなに貧しくても高校を中退して海兵隊に入ることはしなかった」という声が。
 20年かかって戦争体験による心的外傷後ストレス障害(PTSD)を克服した彼は、アネッタさんとともにベトナムへ謝罪に行った。会場で明らかに米軍が散布した枯葉剤の影響と思われる障がいを患った人々を見た時「涙が止まらなかった」と話してくれた。
ところが枯葉剤の影響はアレン自身にも及んだのだ。医者はベトナム帰還兵がアレンと同じ種類のがんを発症していると指摘。アレンの命は奪われた。
戦争は勝者も敗者もなく、ただ苦しみと悲しみだけを生んでいく。そして、その連鎖は今なお続いている。
 アレンはゴーヤーとテビチが大好物になり、サンシンを弾くようになった。この間の全国で講演回数は2000回にも及び、戦争の真実を語り続けた。それを聴いた私は「NO WAR!」を言い続けていこう。アレン、ありがとう。

(沖縄タイムス 2009年3月28日)  

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アレンさんが亡くなりました

2009年03月28日

3月26日、アレンさんの訃報が届きました。
アレンさんの妻アネッタさんから平塚淳次郎さん(世話人会代表)に届いたメールです。

 平和活動にかかわっていらっしゃるみなさんに、悲しいお知らせがあります。
25日水曜日の午後10時19分にアレンが亡くなりました。
つらい闘病でしたが、最後は安らかで、私が手を握る中、息を引き取りました。
私は、火曜日の夜11時30分までアレンのそばにいて、帰宅しました。
3時間ほど寝たところで、病院の主治医からすぐ来てほしいという電話がありました。

命を維持しようとする苦しい闘いが続き、私はその間、12時間あまり病院にいました。

これでもう苦しまなくていい所に旅立ったので、私も安らかな気持ちです。
痛みも、苦しみも、もうありません。どうかアレンが安らかに眠れますように。

この二、三日のうちに、アレンの息子と娘と私で葬儀をどうするかを決めます。
またご連絡いたします。

愛とともに
アネッタより


(翻訳:川村久美子、編集:大畑豊)
  

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ご寄付20

2009年03月26日

3月25日の振込みまでの状況を報告致します。 合計 1,262,521円 です

3月20日  OK様    10,000円
       YY様     10,000円
       TO様     5,000円

3月21日  SM様    10,000円
       AE様      2、000円
       DO様      2,000円

3月23日  KT様      2,000円
      
3月24日  YK様     10,000円
       TY様      10,000円

3月25日  PS様      50、000円
            
              合計 1,262,521円

  (このうちの70万円は既にアレンへ手渡しました。)
  ご寄付して下さった皆様、心より感謝申し上げます。
            
                        

Posted by eiko2009 at 10:50Comments(0)TrackBack(0)寄付のご報告

素敵な募金箱

2009年03月25日

東村字高江にあるアレンさんへの募金箱です。
高江は米軍のジャングル訓練センターの真横にあり、これまでもヘリの騒音と危険に悩まされてきました。そこへ米軍は集落を囲むように6つのヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を建設する工事を始めたのです。住民は去年の7月から工事現場の入り口で、工事を中止させるために座り込みを続けています。
アレンさんへの募金箱は「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪ポストみたいで素敵です。

(古賀)  

Posted by eiko2009 at 20:27Comments(1)TrackBack(0)その他